伊奈陣屋
●地図● 埼玉県北足立郡伊奈町小室 2017年7月16日更新(訪問日:2015年7月26日、2017年7月2日)
◆概要◆
1590年に徳川家康の家臣・小室忠次により築かれたとされます。 小室忠次は三河国幡豆郡小島の武士で、三河一向一揆に加わり出奔しました。 その後、長篠の戦に加わることで帰参が許され、徳川家康の嫡男・松平信康に仕えました。 しかし、間もなく徳川信康が自害すると再び出奔し、堺に移りました。 1582年にあった本能寺の変で、徳川家康が堺から脱出した伊賀越えに同行して再び帰参し、主に奉行職として活躍しました。 1590年に武蔵国足立郡小室及び鴻巣の13000石を与えられ、小室に陣屋を築きました。 関東入部後は関東代官として、徳川家直轄領100万石の行政を実質的に任されました。 1610年に伊奈忠次、1618年に伊奈忠政が没しました。 伊奈忠政の嫡男・伊奈忠勝はまだ8歳だったため家督のみを継承し、関東代官職は叔父の伊奈忠治が継ぎました。 しかしその翌年、伊奈忠勝が9歳で没したため無嗣断絶となり、伊奈陣屋は田中家預かりとなりました。 江戸時代中期の絵図ではすでに畑になっており、この時に廃止されたと思われます。 伊奈家は江戸幕府草創期の関東支配に貢献したことが評価され、伊奈忠勝の弟・伊奈忠隆に小室の中から1186石が与えられて一般の旗本として存続しました。 新幹線建設の際に裏門付近で発掘調査が行われ、障子堀が発見され、陣屋以前に後北条氏による中世城郭があった可能性が高くなりました。 障子堀は埋め戻されたので直接見ることはできませんが、表門と裏門付近に堀跡があり、城内各所に土塁が残っています。


表門跡付近

表門の堀跡

表門跡にある説明板

二の丸にある説明板と伊奈氏居館址碑

本丸と二の丸の間の堀跡

反対側から見た二の丸の土塁

内部は住宅と畑で面影はありません

裏門側の入口

説明板に載っている障子堀の写真

障子堀は埋め戻されています

行政の立て看板

看板のすぐ裏に浅い堀があります