八尾城
●地図● 大阪府八尾市本町7丁目 2017年8月17日更新(訪問日:2011年8月2日)
◆概要◆
八尾は物部氏一族で矢作りに従事した「矢作部」が暮らしていたと伝わり、矢尾・矢生・箭尾とも書かれていました。 室町時代に当地の土豪・八尾別当顕幸が城を築いたのが、八尾城の始まりとされます。 八尾顕幸は南朝方の楠木正成に仕え、八臣の一として活躍。 湊川の戦いで楠木正成が戦死した後も、その子の楠木正行をよく補佐したと伝わります。 その八尾顕幸は、1338年に八尾城内で病没しました。 戦国時代になると三好氏の勢力下となり、楠木正行の子孫である池田教正が居城としました。 池田教正は三好長慶に仕え、足利義輝暗殺にも参加しています。 池田教正は若江三人衆の一人であり、三好長慶の死後は三好義継を支える重臣の筆頭でした。 しかし、織田信長との戦いで他の若江三人衆とともに寝返り、主君・三好義継を滅ぼしました。 その後は池田恒興に仕え、池田輝政の代に美濃へ移ったため八尾城は廃城となりました。 八尾城の所在地は現在でも確定しておらず、八尾神社周辺であったとする西郷説と、南本町から高美町辺りであったとする八尾座説があります。


西郷説の八尾神社

八尾神社にある城址碑

八尾神社にある歌碑

歌碑の句