小谷城
●地図● 大阪府堺市南区豊田(阪和第一泉北病院) 2012年2月25日(訪問日:2011年8月2日)
◆概要◆
鎌倉時代初期に上神政有により築かれました。 上神氏は平清盛の弟・頼盛を祖とすると伝わります。 平清盛が源義朝を平治の乱で討った際、幼少の源頼朝は平清盛の継母・池禅尼の命乞いにより命を救われ、伊豆へ流刑となりました。 その後、源平合戦で平氏を滅ぼした源頼朝ですが、池禅尼の実子・平頼盛は許し、従来通り六波羅の地に住まわせています。 平頼盛の子・頼晴は仁和寺の寺領である若松荘の地頭として赴任し、栂山城を築いて上神(にわ)政員と名を改めました。 そして、上神政員の曾孫・政有の代になって城を築いたのが小谷城の始まりとされます。 小谷城は周囲よりも小高い丘となっており、栂山城、豊田城とともに「鼎城」と呼ばれていました。 南北朝時代には楠木氏の支配下に入り、赤坂城から浜寺に至る狼煙の中継所として機能しました。 戦国時代になると周囲一帯の寺社を含めて根来党に属していたため、織田信長により攻め落とされました。 その後も小谷氏は当地に残り、徳川家康の大坂の陣での活躍により郷士となり、伯太藩に仕えて当地の庄屋を務めました。 現在、城跡には阪和泉北第一病院があり、敷地内に城址碑が建てられています。 また、付近に小谷氏の子孫により小谷城郷土資料館が建てられています。


城址碑周辺

城址碑