苅田城
●地図● 大阪府泉大津市我孫子町 2012年2月26日(訪問日:2011年8月2日)
◆概要◆
築城年代や築城者は不明です。 穴師小学校からJA辺りが城域と考えられています。 穴師小学校裏にある穴師公園は池を埋め立てて造成されており、かつては城の堀だったと考えられています。 三好山城守や寺田兄弟が城主を務めたとされる1530年頃は、細川一族の内紛により畿内は戦乱続きでした。 1531年にようやく細川高国を自害に追い込んだ細川晴元ですが、細川高国を攻めるために利用していた一向宗と不和になりました。 彼らを鎮圧しようとして手を組んだのが法華宗徒であり、このことが畿内を大混乱に巻き込んだとされます。 そのため、細川晴元自身も一時は淡路へ避難したほどでした。 寺田又右衛門・安大夫兄弟は和泉国寺田村出身で、岸和田城主となった松浦肥前守に仕えていました。 松浦肥前守は細川晴元の家臣でしたが、後の細川晴元と三好長慶の内紛では三好長慶方として行動しました。 のちに畿内を制圧した織田信長に従いましたが、寺田安大夫は織田信長の意を受けた堀秀政らとともに主君・松浦肥前守を謀殺。 松浦姓を名乗り、兄・寺田又右衛門とともに岸和田城主となりました。 そんな時代に築かれた城ではありますが、現在は住宅街となり、城としての面影は全く見られません。 道端に設置された城址碑が、そこに城があったことを伝えるのみです。


城址碑