成羽陣屋
●地図● 岡山県高梁市成羽町下原 2010年8月15日(訪問日:2010年8月1日)
◆概要◆
もともとは背後の鶴首山に山城があり、江戸時代に成羽に入封した山崎家治がその山麓に陣屋を築いたのが始まりです。 平安時代末の1189年、奥州平定に功績のあった河村四郎秀清が成羽の地頭となり、山城の鶴首城を築いたと伝わっています。 1533年、備中の戦国大名・三村家親が本拠とし、その際に整備拡張しました。 1561年、三村家親・元親父子は本拠を備中松山城に移し、鶴首城は一族の三村親成・親宣父子が城主となりました。 1566年、宇喜多直家によって三村家親が暗殺され「備中兵乱」が激化。 三村元親は織田信長に味方し、これに反対した三村親成父子は三村一族から離反して毛利氏に味方し、三村親重が鶴首城主となりました。 1575年、毛利軍により攻略されると、再び三村親成・親宣父子が城主となりました。 1600年、関ヶ原の戦で三村親成父子が西軍に属したため没落。 代わって岡家俊が城主となりました。 しかし、大坂の陣で岡家俊の長男・岡平内が大坂方に味方したため、大坂落城後、岡家俊は自害させられました。 1617年、成羽は山崎家治の長となり、山麓に陣屋を築いたため、山城の鶴首城は廃城となりました。 1638年、山崎家治は乱後の肥後国天草へ移封となり、乱で荒れた天草の復興に尽力しました。 成羽藩は水谷勝隆が藩主となりましたが、1642年に備中松山藩へ移り、成羽藩は廃藩となりました。 その後、1658年に元藩主・山崎家治の次男・山崎豊治が交代寄合として5千石の領主となり、以後明治時代に至るまで山崎氏が代々成羽を治めました。 現在、陣屋跡地には小学校や役場、美術館などが建てられていますが、陣屋の周りを囲った石垣や武者走りを伴う土塀などの遺構が良好に残っています。


説明板の図

大手門跡

大手門跡

石垣