大和郡山城
●地図● 奈良県大和郡山市城内町 2019年1月2日更新(訪問日:2008年12月27日、2018年12月22日)
◆概要◆
1580年に大和国の主となった筒井順慶が、小規模な砦を改修して居城としました。 その後、1585年に豊臣秀長が大和・和泉・紀伊三ヵ国100万石余の領主となり、大和郡山城に入りました。 豊臣秀長は100万石の居城に相応しい大規模なものに拡大し、新たに七重の天守の建造も開始しました。 しかし、大和は石材が乏しい国であったため、天守台の石垣には墓石や石地蔵まで用いられています。 関ヶ原の戦の後、徳川家康により大和郡山城の建築物は伏見城に移築されました。 城は奈良奉行所の管轄下に入り、大久保長安が在番しました。 大坂夏の陣後は大いに軍功のあった水野勝成が三河刈谷から移り、城郭の修築を行いました。 以後、松平家や本多家を経て1724年に柳沢吉里が甲府城から移り、以後明治まで柳沢氏が城主を務めました。 明治維新後に廃城令により廃城とされ、1873年に破却されました。 このとき櫓・門・塀などの建築物は全て解体されたものの、石垣や堀の多くは今も往時の姿を留めています。 付近の永慶寺には、城門がお寺の山門として移築され現存しています。 城跡には遺構の他に、柳沢家初代郡山藩主吉里の父・吉保を祀る柳澤神社、柳沢家時代の史料を保管する柳澤文庫(毘沙門曲輪)、市民会館(常盤曲輪)、郡山高校(二の丸屋形跡)等があります。 1980年には築城400年を記念して追手門(梅林門)、追手向櫓、東隅櫓、多聞櫓が復元されました。


天守台の説明板に載っている古図(文字を書き加えています)
●100名城スタンプ設置場所●
 柳沢文庫
 開館時間:9時〜16時半
 休館日:月曜、第4火曜(祝日の場合開館)、お盆、年末年始
 入館料:一般300円、学生(高校生以上)200円、中学生以下無料

追手門

追手向櫓

東隅櫓

 

石垣

 

さかさ地蔵

天守台

柳澤神社

北側の土塁

追手東隅櫓

追手東隅櫓脇の多聞櫓

天守台脇の内堀

内堀

柳沢文庫

土橋

新しい城址碑

柳澤神社

柳澤神社から見た天守台

天守台から見た北西側の内堀

竹林門跡

裏門跡

南御門跡

鷺池

内堀の南東角から見た追手東隅櫓

大納言塚

外堀跡(大職冠裏池跡)

外堀跡に沿って石碑があります

北東側の外堀跡

外堀緑地北門(JR郡山駅前)