高田城
●地図● 奈良県大和高田市旭北町 2012年4月4日(訪問日:2011年8月1日)
◆概要◆
高田城は室町幕府6代将軍・足利義教の命令により築かれ、當麻為貞が城主となりました。 当時の高田城は縄張りが二町四方あり、西に大手門、東に搦手門を置き、二重の土塁により囲まれていました。 當麻氏は元は興福寺一乗院平田荘の荘官でしたが、武士化して大和西部に大きな勢力を持つようになり、南北朝時代の頃から高田氏を名乗るようになりました。 大和の国人たちは筒井氏と越智氏の争いに巻き込まれ、その時々の状況により離合を繰り返すのが常でした。 高田氏も一時は越智氏に味方して中心的な役割を果たしていた時期もあれば、筒井氏と互いの窮地を救い合うような時期もありました。 また、松永久秀が大和に侵入して来た時、始めは抵抗しましたが、筒井氏が劣勢となると松永側についたりもしました。 最終的には織田信長の後ろ盾を得て大和守護となった筒井順慶の配下となりましたが、織田信長が要求した人質を出さなかったことが原因で滅ぼされました。 現在、城跡には遺構は無く、片塩小学校脇の空き地に写真の石碑があるのみです。


城址碑