平野城
●地図● 三重県鈴鹿市平野町 2012年6月6日(訪問日:2011年7月30日)
◆概要◆
平野城は鎌倉時代に伊豆国から移って来た伊東氏により築かれました。 鈴鹿川の南にある丘を利用しており、西から北、東にかけて堀の役割を果たしたであろう水路があります。 城主の伊東氏は代々神戸氏に仕えました。 織田信長が侵攻してくると、神戸氏は織田信長の子・信孝を神戸氏の養子にすることで和睦しました。 しかし、その3年後には神戸友盛を軟禁して近江へ送り、無理やり隠居させて信孝に家督を譲らせました。 これに反発した家老の山路弾正と平野城主・伊東茂右衛門が1571年、神戸城を奪回しようとした計画が露見。 このため神戸信孝により攻め滅ぼされました。 城域は東西40メートル、南北80メートルで、東側には南北に走る土塁が残っており、土塁南端には城址碑と説明板が設置されています。 土塁は深い藪に覆われていたため、その形状を確認することができませんでした。


城址碑

藪に覆われた土塁

堀跡