伏見桃山城
●地図・アクセス● 京都市伏見区桃山町大蔵 2016年2月23日更新(訪問日 2007年9月17日、2008年12月28日)
◆概要◆
伏見城は豊臣秀吉が自身の隠居後の居所として築いた城でした。 三度にわたって築城されており、初めに指月山に造られたものを指月山伏見城、 地震で大破後に木幡山に移されたものが木幡山伏見城と区別されます。 さらに、木幡山伏見城は豊臣期と関ヶ原の戦後に再建された徳川期とに分けられます。 豊臣秀吉の死後、その遺言によって豊臣秀頼は大坂城に移り、五大老筆頭の徳川家康が代わって伏見城に入り政務をとりました。 関ヶ原の戦の際、徳川家康の家臣・鳥居元忠らが伏見城を守っていましたが、石田三成方に攻められ建物の大半を焼失しています。 なお、籠城していた徳川家臣達が自刃した血痕の残る床板は、血天井として京都の複数の寺で現在でも見る事が出来ます。 廃城後はその建造物及び部材が各地に転用・移築されました。 伏見城本丸跡などの主郭部分は明治天皇の陵墓(伏見桃山陵)となり、現在は無許可での立入りを禁じられています。 伏見城花畑跡には1964年に「伏見桃山城キャッスルランド」が建設され、園内には5重6階の大天守と 3重4階の小天守、櫓門等を伴った模擬天守がRC造で建造されました。 2003年1月、伏見桃山城キャッスルランドが経営母体である近鉄のリストラの一環として閉園されましたが、 模擬天守は市民運動により伏見のシンボルとして取り壊しを免れました。 現在は伏見桃山城運動公園として整備され、京都市が無償で譲り受けましたが、老朽化で耐震基準を満たしておらず、内部は非公開となっています。


模擬天守