ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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萩城
2009/8/7記
(2008/8/8訪問)

天守台と指月山
 
●概要●
萩城は関ヶ原の戦で西軍総大将・毛利輝元が敗戦後に大減封され、新たな本拠地として築いた城である。日本海に張り出した指月山と、山麓に3重の堀を巡らした平山城であった。天守は初層を天守台より大きく張り出させた張出という造りが採用され、最上階には外廻縁高欄や華頭窓があった。明治に入り発布された廃城令により破却され、石垣のみが現存している。現存していた頃の姿は古写真でのみ見ることができる。近年では破却された天守等を復元する動きがあるが、財源の問題で難しくなっている。現在は指月公園として整備され、旧城の入口には旧厚狭毛利家萩屋敷長屋が現存している。

●歴史●
1600(慶長5)年 関ヶ原の戦で西軍総大将となった毛利輝元は、敗戦により隠居を命じられた。
1603(慶長8)年 萩・山口・三田尻(防府)の3ヵ所を候補とし、幕府は海に臨み要害の地である萩が良いと回答。
1604(慶長9)年 萩城建造に着手。
1608(慶長13)年 完成。指月山に詰の丸を配し、戦を意識した構えとなっている。
1863(文久3)年 無許可で藩庁を山口に移転。萩城は藩庁としての役目を終えた。
1874(明治7)年 廃城令により天守・櫓などの建物を破却。

毛利輝元(もうり てるもと)

1553年、毛利隆元の長男として吉田郡山城に生まれた。父・隆元が死去したため11歳の時に家督を継ぎ、祖父・毛利元就の手によって養育された。元就の死後は尼子氏や大友氏に勝利し、九州や中国地方に勢力を拡大。中国地方8カ国120万石を領有する大大名に成長した。豊臣政権下では四国征伐や九州征伐で先鋒として武功を挙げ、五大老の一人となった。関ヶ原の戦では安国寺恵瓊の説得を受け、一門や重臣に相談することなく総大将となり敗戦。周防・長門2カ国36万9千石に大減封された。1604年、萩城を築き入城。城下町の建設を進めるとともに、長州藩経営の安定に腐心した。73歳で没し、萩城三の丸の天樹院に葬られた。


東萩駅前にある天守の1/10ミニチュア

旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
萩城下の観光地

松下村塾

木戸孝允邸

高杉晋作邸

伊藤博文邸

●案内● 2016/2/21現在
指月公園
開園時間 4月〜10月 8:00〜18:30
11月〜2月 8:30〜16:30
3月 8:30〜18:00
休園日 年中無休
入園料 大人210円、小・中学生100円
指月第一駐車場 普通車310円、大型車1030円

●100名城スタンプ設置場所●
入口にある券売所

●地図● 山口県萩市堀内

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