ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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太田城
2012/4/2記
(2011/8/1訪問)

太田城水攻めの小山塚(来迎寺)
●概要●
太田城は室町時代に紀伊国造・紀俊連により築かれた。紀俊連は紀伊日前・国懸神宮の神職で、太田城の他に忌部城、三葛城など神宮領に城を築いた。城域は来迎寺を中心に二町半(約270m)四方あり、周囲を深い堀と高い土塁で囲み、要所要所に櫓を設けていた。平城ながらその防御力はかなりのものであり、力攻めで攻め落とされたことはない。有名な戦は1585年にあった第二次太田城の戦いで、豊臣秀吉による水攻めが行われている。この時は秀吉軍10万に対して5千人で籠城していたが、水攻めにより城主以下53名が自刃することで和議が結ばれた。その後、城は秀吉により廃城とされた。日本三大水攻めのあった城跡は住宅街となり、遺構は残されていないが、大門が移築され大立寺の山門として現存している。

●歴史●
室町時代 紀俊連が延徳年間(1489〜92年の間)または文明年間(1469〜87年の間)に築いた。
1577(天正5)年 織田信長が雑賀城を攻めた際、太田左近の宮郷衆は信長に協力した。
信長が兵を引くと、雑賀衆が報復のため攻めてきた。
1585(天正13)年 豊臣秀吉による水攻めが行われ、太田左近宗正ら53名が自刃し開城。
戦後、城は秀吉により焼き払われ廃城となった。


来迎寺の山門と説明板

移築城門(大立寺山門)

●地図● 和歌山市太田
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