ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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根来寺
2011/8/19記
(2011/8/1訪問)

国宝 多宝塔
●概要●
根来寺は空海以来と謳われた覚鑁(かくばん)上人により、平安時代末期に開山された新義真言宗の総本山である。覚鑁上人はもともとは高野山におり、鳥羽上皇が帰依したり金剛峯寺座主を務めるなど、絶大な権力を誇っていた。だが、高野山内での勢力争いで覚鑁上人一門の寺院が焼き討ちに遭ったため、高野山を下りて豊福寺に拠点を移した。その後、円明寺を建立し、豊福寺・円明寺を中心とした一山を根来寺と呼ぶようになった。その後、室町時代後期には寺領72万石を領し、根来衆とよばれる僧兵1万余の一大軍事集団を擁した。また、種子島に伝来したばかりの火縄銃一挺が根来寺僧によって持ち帰られ、僧衆による鉄砲隊が編成された。根来衆は織田信長とは良好な関係にあり、石山本願寺との戦いでは協力関係にあった。だが、信長の没後、羽柴秀吉と徳川家康が争った際には徳川家康に味方し、岸和田城などを攻略した。そのため秀吉の怒りを買い、後の紀州征伐へとつながった。多宝塔の基部にはその際の火縄銃の弾痕が現在も残されている。

●歴史●
1140(保延6)年 覚鑁上人は高野山を下り、大伝法院の荘園の一つである弘田荘内にあった豊福寺に拠点を移した。一山総称としての根来寺が形成された。
1143(康治2)年 覚鑁上人が円明寺で没する。
1585(天正13)年 豊臣秀吉による紀州征伐。雑賀の鉄砲隊とともに抵抗するが敗れ、秀吉軍は根来寺を焼き討ちにした。大師堂、大塔など数棟を残して焼け落ちた。
江戸時代 紀州徳川家の庇護のもと、一部が復興された。


重要文化財 大師堂

県指定文化財 大伝法堂(1827年再建)

城を思わせるような険しい地形

案内図(クリックで拡大)

●案内● 2016/2/23現在
拝観時間 4月〜10月 9:10〜16:30
11月〜3月 9:10〜16:00
※10月下旬は法要のため拝観できない場合がある
拝観料 大人(中学生以上)500円、小学生以下無料

●地図● 和歌山県岩出市根来

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