ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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米子城
2010/8/8記
(2010/7/31訪問)

天守台
 
●概要●
標高90mの湊山山頂に築かれ、西伯耆から出雲の平野部や日本海、中海、島根半島、中国山地が一望できる。吉川広家が天守を築いていたが、その横に中村一忠が一回り大きな天守を建てた。そのため、吉川広家の建てた天守は副天守や四重櫓と呼ばれるようになった。尚、幕末から明治初年に撮影されたと思われる古写真が残っている。現在も天守台や本丸の石垣、枡形門の石垣などが残っている。

●歴史●
1470(文明2)年頃 応仁の乱の時、西軍の伯耆国・山名氏が東軍の出雲国・尼子氏に備えて飯山に築いたとされる。
1524(大永4)年 大永の五月崩れにより落城し、尼子氏の支配となる。
1562(永禄5)年 毛利氏が尼子氏を攻略したのに伴い、山名氏が再び支配する。
1569(永禄12)年 山中幸盛が尼子氏再興を旗揚げ。米子城主・山名之玄と結ぶが、吉川元春に攻められ落城。山名之玄は自害した。
1591(天正19)年 吉川広家が湊山(現在の位置)に築城を開始。
1600(慶長5)年 関ヶ原の戦い後、吉川広家が岩国に移封。
替わって中村一忠が伯耆17万5000石を領し、米子城を完成させた。
1609(慶長14)年 中村一忠が急死し、家系断絶のため改易。
翌年、加藤貞泰が伯耆2郡6万石を領して藩主となる。
1617(元和3)年 加藤貞泰が大洲藩に移され、米子藩は廃藩となる。伯耆・因幡はすべて鳥取藩・池田光政の所領となり、米子城は家老の池田由成が城代として駐在した。
1632(寛永9)年 池田光政の岡山国替により、池田光仲が藩主となる。明治維新に至るまで米子城は家老の荒尾氏が城代として駐在した。
1879(明治12)年 当時の金30円で古物商山本新助が入手。石垣を残して取り壊された。
その後、城跡一帯は坂口氏の手に渡る。
1933(昭和8)年 坂口平兵衛 (2代)から米子市に寄付され、現在は湊山公園として整備されている。


枡形門跡

小原家長屋門

内膳丸

米子城絵図(クリックで拡大)

●地図● 鳥取県米子市久米町

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