1470(文明2)年頃 |
応仁の乱の時、西軍の伯耆国・山名氏が東軍の出雲国・尼子氏に備えて飯山に築いたとされる。 |
1524(大永4)年 |
大永の五月崩れにより落城し、尼子氏の支配となる。 |
1562(永禄5)年 |
毛利氏が尼子氏を攻略したのに伴い、山名氏が再び支配する。 |
1569(永禄12)年 |
山中幸盛が尼子氏再興を旗揚げ。米子城主・山名之玄と結ぶが、吉川元春に攻められ落城。山名之玄は自害した。 |
1591(天正19)年 |
吉川広家が湊山(現在の位置)に築城を開始。 |
1600(慶長5)年 |
関ヶ原の戦い後、吉川広家が岩国に移封。
替わって中村一忠が伯耆17万5000石を領し、米子城を完成させた。 |
1609(慶長14)年 |
中村一忠が急死し、家系断絶のため改易。
翌年、加藤貞泰が伯耆2郡6万石を領して藩主となる。 |
1617(元和3)年 |
加藤貞泰が大洲藩に移され、米子藩は廃藩となる。伯耆・因幡はすべて鳥取藩・池田光政の所領となり、米子城は家老の池田由成が城代として駐在した。 |
1632(寛永9)年 |
池田光政の岡山国替により、池田光仲が藩主となる。明治維新に至るまで米子城は家老の荒尾氏が城代として駐在した。 |
1879(明治12)年 |
当時の金30円で古物商山本新助が入手。石垣を残して取り壊された。
その後、城跡一帯は坂口氏の手に渡る。 |
1933(昭和8)年 |
坂口平兵衛 (2代)から米子市に寄付され、現在は湊山公園として整備されている。 |