ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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鹿野城
2010/8/8記
(2010/7/31訪問)

二ノ丸と鷲峰山
●概要●
14世紀の元朝滅亡後、元朝外交官で博多に亡命した陳宗敬(陳外郎)の名前に由来する。陳宗敬は明王朝を建国した朱元璋に敗れた陳友諒の一族とも言われている。日明貿易に携わり、輸入した薬に彼の名が定着したとされる。小田原の外郎は応仁の乱(1466〜76年)後、京都外郎家の分家である宇野藤右衛門定春が後北条氏に身を寄せたことに始まる。後北条家滅亡後も豊臣家、江戸幕府により保護され、苗字帯刀が許された。外郎は去痰をはじめとして万能薬として知られ、現在も外郎家が経営する薬局で販売されているが、購入には薬剤師との相談が必要である。和菓子の外郎は江戸時代以前は外郎家においては来客用の菓子であり、明治時代から市販されるようになった。

●歴史●
室町時代初期 志加奴氏が築城したと伝えられる。
1544(天文13)年 尼子晴久に攻撃され、城主の鹿野入道以下300余名が討死にした。
1563(永禄6)年 武田高信に攻められた因幡守護・山名豊数が、布勢天神山城を捨てて鹿野城に退く。
1580(天正8)年 羽柴秀吉による第1次鳥取城攻撃の際に織田方の城となり、亀井茲矩が守将となった。
1581(天正9)年 羽柴秀吉による鳥取城渇殺の際、毛利軍の猛攻から城を守った功により、亀井茲矩が城主となる。茲矩は山麓に堀と石垣から成る近代城郭を構築した。
1617(元和3)年 亀井政矩が津和野へ移封。鳥取に入封した池田光政の家老・日置忠俊が城主となる。
1644(正保元)年 城が破却された。


天守台

城山案内図(クリックで拡大)

●地図● 鳥取市鹿野町鹿野
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