ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

なぽのブログを検索 なぽのホームページを検索

TopPage > 東京都
長島高城
2013/1/19記
(2011/8/13訪問)

長島之碑

●概要●
長島高城の築城年代や築城者は不明だが、当地は隅田川と江戸川に挟まれた水上交通の要衝であり、古くは「葛西御厨」と呼ばれていた。長島高城は清光寺や香取神社などの寺社が密集している地域に存在していたと考えられている。直接的な記録が乏しいため、周辺地域の歴史をもとに推察していく。源頼朝に従って戦功を挙げた豊島清光は次男・清重に葛西庄を与え、清重は葛西姓を名乗るようになった。これが葛西氏の始まりである。清重は葛西庄を伊勢神宮に寄進したため「葛西御厨」と呼ばれるようになり、葛西氏が荘官として実質的に支配した。清重は平家討伐後に奥州にも広大な所領を得て関東と奥州を行き来していた。葛西氏が本拠を移した時期は明確ではないが、清重の曾孫・清経の頃(西暦1300年頃)であったとする説が有力である。葛西氏が去った後は下総の千葉氏が支配していたと考えられる。千葉氏は1455年の享徳の乱で嫡流の武蔵千葉氏と庶流の下総千葉氏に分裂。太田道灌の助力を得て武蔵千葉氏が優勢であったが、在地領主たちが従わなかったため、実質的に下総千葉氏が支配し続けた。その下総千葉氏も1557年に当主・千葉昌胤が北条氏寄りの重臣・原氏に暗殺され、実質的に北条氏の支配地となった。長島高城は北条氏家臣・太田康資の領地となっていたが、戦功の割に恩賞が少ないなどの理由から北条氏に叛旗を翻すようになり、1564年の第二次国府台合戦では北条氏と対立していた里見氏側についた。だが、大敗し里見氏を頼って落ち延びた。その後、北条氏の勢力が安房を除く房総半島全域に達したため、必然的に長島高城も北条氏の支配地になったと考えられる。その北条氏は1590年に豊臣秀吉により滅ぼされた。この時に北条氏の多くの城が廃城となっており、長島高城も同様の運命と辿ったものと見られる。

●歴史●
鎌倉時代 葛西氏が葛西庄を伊勢神宮に寄進。以後「葛西御厨」と呼ばれる。
水上交通は香取神社が取り仕切った。
室町時代 千葉氏が支配していたと考えられる。
1559(永禄2)年 北条氏家臣となっていた太田道灌の子孫・太田康資の領地として記録が残る。
1590(天正18)年 北条氏滅亡

●地図● 東京都江戸川区東葛西3丁目

大きな地図で 東京都の城跡/なぽのホームページ用 を表示
TopPage > 東京都