ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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深大寺城
2011/10/8記
(2011/8/13訪問)

空堀と土塁(復元)

●概要●
築城時期は不明だが、15世紀には「ふるき郭」と言われていた。当時、扇谷上杉朝興は河越城を本拠地としていたが、北条氏綱が武蔵に勢力を伸ばし始めており、扇谷上杉氏と北条氏は南武蔵で合戦を繰り返していた。1524年には北条氏綱に江戸城を奪われたため、扇谷上杉朝興は河越城防御の最前線として深大寺城を整備したと考えられる。これに対して北条氏綱は、朝興が没した1537年に深大寺城周辺に付城を築いて牽制し、直接河越城を攻撃した。この時の戦で北条軍が大勝し、扇谷上杉朝定は松山城に退いた。深大寺城は役割を果たすことなく軍事的価値を失い、そのまま廃城になったものと見られている。そのため、北条氏による改修を受けておらず、扇谷上杉氏の築城術を後世に伝える貴重な遺構となっている。現在は三の郭はテニスコートとなり破壊されたが、一の郭と二の郭が神代水生植物園内に残っている。

●歴史●
  築城時期は不明。武蔵七党の狛江氏により築かれたのではないかと考えられている。
1524(大永4)年 1月に北条氏綱が江戸城を奪う。この頃に北条氏から河越を守る前線基地として「ふるき郭」が整備されたものと考えられる。
1530(享禄3)年 扇谷上須後朝興は深大寺城、北条氏康は多摩川対岸の小沢城に陣を敷いて、小沢原で合戦となった。
1537(天文6)年 4月、13歳で跡を継いだ上杉朝定は、難波田広宗に命じて深大寺城を改修。
7月、北条氏綱は直接河越城を直接攻め、朝定が松山城に敗走した。
深大寺城はそのまま廃城になったものとみられる。


建物の柱跡を石で表現

櫓台

城址碑

城跡図(クリックで拡大)

●神代水生植物園●
開園時間 9:30〜16:00
休園日 毎週月曜日
入園料 無料

●地図● 東京都調布市深大寺元町

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