ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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板橋城
2013/1/13記
(2011/8/13訪問)

長命寺

●概要●
板橋城は築城年代は不明だが、豊島氏の庶流・板橋氏が居城としていた。豊島氏は1023年に武蔵介藤原真枝を討った秩父武常が、その功により武蔵国豊島郡を得たことに始まる。この他に下総国葛飾郡葛西にも所領を得ており、こちらの子孫は葛西氏を称した。豊島氏は1059年の前九年の役の頃から源氏に仕えており、源頼朝が挙兵した際にも早くから参戦していた。室町時代には扇谷上杉氏に仕えていたが、1453年にあった享徳の乱以後、同じ扇谷上杉氏に仕える太田道灌が力をつけ、豊島氏の領地を囲むように所領を拡大したことで対立するようになった。そして1476年に起きた長尾景春の乱で豊島氏が景春に同調したため、太田道灌により滅ぼされた。この時に板橋氏は道灌の軍門に降り、千葉自胤直属の配下になったとされる。扇谷上杉氏はその後、山内上杉氏との内紛が始まり、その隙を突いた伊勢宗瑞(北条早雲)により領地を侵食された。江戸城が落城したのが1524年であるため、それまでには板橋氏も北条氏の配下になったと考えられる。その後、1590年に北条氏は豊臣秀吉により滅ぼされたが、板橋氏は徳川家康に仕えて旗本となった。城のあった場所には諸説があり、遺構が見つかっていないため確定していないが、現在長命寺のある場所が有力であると考えられている。

●歴史●
1023(治安3)年 秩父常将の次男・秩父武常が武蔵介・藤原真枝を討った功により武蔵国豊島郡を与えられる。後に子孫が豊島氏を名乗るようになる。
1477(文明9)年 太田道灌により豊島氏が豊島郡を追われる。板橋氏はこの時に上杉氏の配下になったと考えられる。
1524(大永4)年 北条氏綱が江戸城を攻め落とす。板橋氏はこの頃までに北条氏に従ったとみられる。
1590(天正18)年 豊臣秀吉により北条氏が滅ぼされ、板橋城は廃城となる。
板橋氏は徳川家康に仕える。

●地図● 東京都板橋区東山町

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