ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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稲付城
2013/1/14記
(2011/8/13訪問)

静勝寺の入口にある城址碑

●概要●
稲付城は太田道灌により築かれた。築城年は定かではないが、近隣の状況から1455年に享徳の乱で豊島氏を退けた後と考えられる。江戸城と岩槻城を結ぶ岩槻街道に面しており、岩淵宿もあり古くから交通の要衝であった。詳細な歴史は不明だが、太田道灌の暗殺以降の太田氏は岩淵周辺を本拠としており、江戸時代になってから道灌の子孫である太田資宗により静勝寺が建立された。静勝寺には太田道灌の木像が安置され、太田氏の菩提寺となっている。城としての遺構は近隣のマンション建設の際の発掘調査により空堀が見つかっている。

●歴史●
1455(享徳4)年? 太田道灌により築かれたと考えられる。
1486(文明18)年 太田道灌が主君・扇谷上杉定正に暗殺される。
当時10歳であった道灌の嫡男・資康は江戸城から追放され、甲斐に逃れる。
1494(明応3)年 扇谷上杉定正が死去すると、太田資康は扇谷上杉朝良に仕えた。
1513(永正10)年 太田資康は舅の三浦義同が北条氏に攻められた際に援軍として駆けつけ戦死。
扇谷上杉朝良に暗殺されたという説もある。
1524(大永4)年 太田資康の子・資高が北条氏綱に寝返り、江戸城を攻め落とす。
資高は志村、広沢、平塚、岩淵を与えられ、稲付城を居城とした。
1564(永禄7)年 太田資高の子・康資が北条氏康に叛旗を翻すが、第二次国府台合戦で大敗し、里見氏を頼って安房、のちに佐竹氏の常陸へ逃れる。
1591(天正19)年 太田康資の子・重正が徳川家康に名家名門として召抱えられ、武蔵国豊島郡蓮沼500石を与えられる。
1655(明暦元)年 太田重正の子・資宗が稲付城跡に静勝寺を建立。太田家の菩提寺とする。


静勝寺山門と稲付城の説明板

説明板

●地図● 東京都北区赤羽西1丁目

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