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そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。
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八王子城
2017/2/27更新(訪問日 1回目:2008/9/8、2回目:2017/1/21)

本丸

◆概要◆
1587年頃に北条氏政の弟・北条氏照により築かれた。北条氏照は滝山城を本拠としていたが、1569年に武田信玄に攻められ落城寸前まで追い込まれ、滝山城の限界を感じていた。そのため石垣で固めた山城を築いて、滝山城から本拠を移した。城域は東西約2km、南北約1kmに及び、「要害地区」「居館地区」「根小屋地区」に分けられる。要害地区は山の複雑な地形を利用していくつもの曲輪を配置し、本丸を山頂に置いた。居館地区には御主殿など居館を構えていた。根小屋地区は城山川に沿って麓に城下町を形成した。1590年にあった豊臣秀吉による小田原征伐では、上杉景勝・前田利家・真田昌幸ら1万5千の軍勢に包囲された。北条氏照ら主だった家臣は小田原城におり、城内にはわずかの将兵と婦女子など約1000人が立て籠った。連合軍は力攻めを展開し、北条氏照の正室をはじめとする婦女子は自刃、または御主殿の滝に身を投げ、川は三日三晩血に染まったと言い伝えられている。後北条氏の降伏後、北条氏照は兄・北条氏政とともに切腹した。八王子城は廃城となり、新たに関東の支配者となった徳川家康により城跡への立入りが厳重に禁じられた。1951年に国の史跡に指定され、発掘調査や整備が進められた。現在では御主殿付近の石垣、虎口、曳橋などが復元されている。


管理棟前にあった図(2017年訪問時はなくなっていた)

工事中の管理棟 左が御主殿、右が要害地区

要害地区への登城路入口

要害地区入口にある花籠沢

ガイダンス施設から奥へ進むと、「八王子城跡」と書かれたモニュメントがある。この後ろが管理棟だが、2017年1月訪問時は工事中であった。ここで道が左右に分かれ、左の道は居館地区の御主殿跡へ、右の道は山上の要害地区へと続いている。まずは山上の要害地区へ向かった。舗装道の終点は細い橋となっており、その両脇には深さ5メートル程の堀状になっている。城域の入口なので人為的に掘った堀だと思ったが、花籠沢という自然地形であった。


鳥居の所で道が分かれる

アシダ曲輪

金子丸

本丸への道はいきなり山道になるが、5分程進むと鳥居のある所で道が分かれている。ここには案内はなく、八王子城で迷うとしたらここだけかもしれない。そのまま真っすぐ進むと観音堂のある広場に出る。ここがアシダ曲輪で、縁には重厚な土塁がある。そこから先へは進めないので戻り、鳥居の所から登る道を進むと金子丸に至る。


柵門跡

高丸

高丸から見上げた所

金子丸から先も山道はひたすら上り坂が続く。すぐに「七合目」のコンクリ標柱が現れ、少しだけ力が沸くものの、やはり少し登るとまたすぐに息が切れる。次に現れる平坦地が柵門台で、ここには「八合目」の標柱があり、道が分かれている。そのうち山王台へと通じる道だけは黄色いテープで立入禁止とされていた。さらに山道を登ると入口に石積みがある平場に出る。ここが高丸で、九合目の標柱がある。本丸まであとひと息!


中の曲輪

中の曲輪手前からの眺め

中の曲輪にある小屋と説明板

高丸から数段の段郭脇を登り切ると道は平坦になり、大きく右へ曲がると一気に視界が開ける。その正面に見えるのが本丸の一段下にある中の曲輪である。中の曲輪の手前は木が伐採され、とても眺めがよい。中の曲輪には本丸周辺の案内図があるが、現在地と方向がわからず現地では位置を把握出来なかった。一度見て回ってから見直すとわかるのだが・・・


八王子神社

本丸

本丸の石碑

中の曲輪に「山頂」の標柱があるものの、まだまだ上がある。標柱のすぐ先に立派な石段があり、その上には八王子神社がある。916年に修行僧が山頂で修行中に牛頭天王と八人の王子が現れた。その因縁で祀ったのが八王子神社であり、ここに城を築いた北条氏照は城の名を「八王子城」と名付けた。これが八王子の地名の由来となっている。神社の右脇に本丸への案内があり、その道を登って行くと小さな祠のある平場に出る。ここが本丸で、祠の陰には立派な城址碑もある。山全体を使った大城郭だが、その本丸は10メートル四方程の狭い空間しかない。


松木曲輪

富士見台への案内

「詰城」は富士見台への道中にある

本丸の周りには小宮曲輪や中の曲輪、松木曲輪などがある。松木曲輪は木が伐採されており、とても眺めが良い。松木曲輪の本丸側には富士見台への案内があり、その先に細い道がある。一番上の図では左に切れてしまったが、その先には「詰城」が描かれていた。ここまで登っておきながら帰ってしまうのももったいないと思い、更に進んでみた。


馬冷しの大堀切

アップダウンを繰り返しながら登る

詰城(大天守)

松木曲輪から出た細道は一気に20メートル程下るため、「本当にこっちでいいのか?」と不安になった。道はやがて水平になり、斜面の際に細々と続いている。やはり大多数の人は「本丸」から先には進まないことが、道の細さを見てもよくわかる。それでも進むのが城キチというものなのだろう。斜面脇の細道を進んで行くと、やがて目の前に土の壁が現れた。予習が不足していてまさかとは思ったが、大きな堀切が突然現れた。足元には「馬冷し」の小さな石碑がある。ここで本丸からの道と北側からの道が合流している。堀切の壁を登った先は細尾根を進む道に変わり、3回程アップダウンを繰り返す。やがて周りが石ころだらけの斜面になり、登り切った所にある小さな平場が詰城だ。周りは木々に覆われて視界は悪いが、何となくこの辺りで一番高いという雰囲気はある。奥にはさらにもう1段、隠すように平場がある。ここが八王子城の最奥部である。登城口からはちょうど一時間かかった。


管理棟前にあるコンクリート製の階段

大手門の内側

次は居館地区を見て回った。管理棟前にあるコンクリート製の階段を下り、川沿いに進むと橋がある。その橋を渡った所が綺麗に整備されている。ここが大手門の内側に当たる。一番奥の左側に虎口っぽい所があり、そこに「大手門跡」の標柱がある。枡形であるのがよくわかるが、立入禁止となっている。大手門を脇に見ながら奥に進む道に橋が架けられているが、その下が掘り込まれており堀切だったと思われる。この橋の脇から斜面を登った足跡が付いていた。古道の左脇に連なる細尾根が太鼓曲輪で、一番上の図では下端に途切れ途切れで描かれている。数条の堀切があるようだが、今回は疲れていたので登らなかった。


曳橋

石段

冠木門

古道の一番奥には見事な橋が架けられている。これが曳橋で、発掘調査でここに橋が架けられたいた事が分かり復元された。ただし、形状は不明なため、あくまでイメージ的なものである。それでも雰囲気はバッチリだ。橋の先には立派な石垣が見える。御主殿の入口にあたる所で、石の段は高いうえに曲がりくねっており、一気に駆け上がれないようになっている。石段を登り切った所に冠木門があり、その内側が城主の居館である御主殿跡である。


御主殿

御主殿の土塁

御主殿奥の石垣

御主殿はかなり広い曲輪で、東西90メートル、南北40メートル程ある。その南の縁には土塁が付けられている。御主殿跡は発掘調査が行われた後、盛り土をして遺構を埋め戻しており、その上に柱の位置を示す石が置かれている。御主殿の一番奥には山中へ入る道がある。特に案内は無いのだが、ご丁寧に「マムシ注意」の板が2枚並んで付けられており、ここから奥へ進めると容易に想像がついた。この道は山上の本丸に通じているようだが、崩落の危険があるため通行は自粛するよう、もう一枚の板に書かれていた。この道を数十メートル進んだ所に石垣がある。ここは石垣保護の観点から通り抜けを遠慮して欲しいと書かれていたため、手前から撮影して引き返した。ここにはこのような石垣が4段あるらしい。



ガイダンス施設

●100名城スタンプ設置場所●
ガイダンス施設

開館時間 8:30〜17:00
入館料 無料
休館日 12月29日〜1月3日


●地図● 東京都八王子市元八王子

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