ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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鷲城
2011/8/14記
(2011/7/16訪問)

城址碑

●概要●
1380年から82年にかけて、小山氏10代・小山義政は、3次にわたって関東公方・足利氏満の軍勢と戦った。これを小山義政の乱という。この乱は、勢力を拡大した小山義政を抑圧しようとする氏満の策謀があったとされ、その命を受けた関東各地の武士達が小山に攻め寄せた。最初の蜂起で館を攻められた義政は、2度目の蜂起では鷲城に立て篭もった。しかし、翌年になり義政は敗れ、粕尾の地で自害した。鷲城は思川や谷・低湿地に囲まれた要害で、東西約400m、南北約600mで中城と外城の2つの郭から成り、当時としては広大な城郭であった。中城の空堀・土塁が明確に残り、鷲城の名の由来となった鷲神社も鎮座している。南北朝時代の城郭がこれほどよく遺存し、関連する文献資料が多数伝来しているのは極めて稀な例であり、貴重な史跡と言える。(現地案内板より)

●歴史●
1372(応安5)年 小山義政が鷲城を修築した。
1380(康暦2)年 5月、小山義政と宇都宮基綱が激突。小山軍が勝ち、宇都宮基綱は討死(裳原合戦)。
6月、関東公方・足利氏満は関東管領・上杉憲方を総大将に小山氏を討伐。小山氏は9月末に降伏した(第一次小山義政の乱)。
1381(永徳元)年 小山義政は足利氏満に謝罪に訪れることもなく鷲城を修築し反抗の意志を見せたため、氏満は4月より第二次の小山氏討伐を開始。義政は鷲城に籠もり抵抗したが、12月に降伏。家督を子の若犬丸に譲り出家して、自らは祇園城にて隠居した。
1382(永徳2)年 小山義政が再び挙兵。粕尾城に籠もり抵抗するが落城。義政は櫃沢城にて自刃した。


鷲神社入口に残る虎口の跡

鷲神社

鷲神社参道脇にある土塁

案内図(クリックで拡大)※鷲神社入口から見た角度に変更

●地図● 栃木県小山市外城

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