ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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唐沢山城
2008/12/14記
(2008/12/13訪問)

本丸の高石垣

●概要●
佐野市街地の北方約5kmにある唐沢山(標高247m)山頂を本丸とした山城である。
戦国時代には上杉謙信の10度にわたる攻城を受け、ことごとく退けた全国屈指の名城。
関東地方の古城には珍しく、高い石垣が築かれているのが特徴である。
現在は栃木県立自然公園の一部となっており、本丸に藤原秀郷を祀る唐沢山神社が鎮座している。
遺構として石垣、大手枡形、土塁、堀切、井戸等が残っている。

●歴史●
927(延長5)年 藤原秀郷が従五位下・下野国押領使を叙任し、唐沢山に城を築いたのが始まりとされる。
1180(治承4)年 9代・俊綱の弟・成俊はこの地に城を再興し、佐野氏を名乗った。
1213(建保元)年 成俊は30余年の歳月をかけて城を完成させた。
1559(永禄2)年 佐野昌綱は北条氏政に3万5千の大軍で城を包囲された。
上杉謙信が援軍を差し向け北条軍を撤退させた。
1576(天正4)年 昌綱の子・宗綱は弟で上杉氏の養子に入った虎松丸と不和になり、一族間で「唐沢山天正の乱」と呼ばれる争いが起こった。これにより佐野氏は上杉氏と決別。虎松丸に加勢した上杉謙信は1万5千の兵で城を攻めた。一族の結城氏・小山氏・皆川氏などの加勢により上杉軍を撤退させた。その後も9度にわたり上杉軍の攻城を受けたがことごとく退けている。この堅固さは評判となり関東一の山城と賞賛された。
1587(天正15)年 長尾顕長との戦いで宗綱が戦死。北条氏康の五男・氏忠を養子に迎え北条氏と和議を結んだ。これに憤慨した佐野宗綱の弟・房綱は出奔した。
1590(天正18)年 豊臣秀吉による小田原征伐では佐野房綱が豊臣方に付き、城内の北条勢を一掃した。
1593(文禄2)年 豊臣氏家臣・富田一白の二男・信種を養子に迎えて秀吉の偏諱を賜り、佐野信吉と名乗った。
1600(慶長5)年 関ヶ原の戦いで信吉は徳川家康方に付き、3万5千石の旧領を安堵され佐野藩が成立した。
1602(慶長7)年 麓に佐野城が築かれ、唐沢山城は廃城となった。廃城の理由として、江戸で火災があった時に唐沢山城よりこれを発見し、早馬で江戸に駆け参じた。しかし「江戸を見下ろせる所に城を構えるは何たることか」と家康の不興を買ったと言う話がある。

●地図● 栃木県佐野市富士町
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