ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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赤見城
2011/10/16記
(2011/7/16訪問)

石碑

●概要●
赤見城は藤姓足利俊綱により築かれた。藤姓足利氏は藤原秀郷を祖とし、下野国足利を本拠としたため足利姓を名乗るようになった。室町幕府将軍家である源姓の足利氏とは起源が異なるため、藤姓足利氏と表記して区別している。藤姓足利氏は下野の雄として、同じ藤姓足利一族である小山氏と覇権を争った。だが、源頼朝に背いたために滅ぼされてしまった。その後、戸賀崎氏により赤見城は再興され、代々戸賀崎氏の居城となった。だが、1559年にはその子孫である赤見伊賀守が佐野泰綱に叛いたため、夜襲を受けて母方の親戚のいる常陸へ逃亡した。この伏線として、上杉謙信の命で宇都宮氏を攻めた際に、当主・佐野豊綱が討死したことによる佐野家中の混乱ぶりが想像される。その後は唐沢山城から近いこともあり重要な支城と位置づけられた。江戸時代になり外様大名が次々と取り潰しに遭う中で改易され、赤見城も廃城となった。現在は主郭を取り巻く土塁とその周囲の堀が残る。土塁の内側は赤見城保育園となっている。

●歴史●
1178(治承2)年 藤姓足利俊綱により築かれた。
1181(治承5)年 志田義広が源頼朝に背き挙兵。足利俊綱がこれに応じたが、千葉常胤・梶原景季らに攻められた。俊綱は敗走中に家臣の桐生六郎に討たれ、藤姓足利氏は没落した。
1190(建久元)年 戸賀崎義宗が城を再興した。
1559(永禄2)年 戸賀崎氏の子孫である赤見伊賀守が、佐野泰綱に叛き、泰綱の夜襲により落城。
1614(慶長19)年 佐野氏改易とともに廃城となった。


周囲を巡る高い土塁と深い堀

中は保育園となっている

●地図● 栃木県佐野市赤見町
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