ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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松江城
2015/10/28更新
2008/6/9記
(2007/8/21訪問)

現存天守
 
●概要●
12ある現存天守(江戸時代以前に建造された天守を有する城郭)の1つ。重要文化財に指定されている。別名・千鳥城。宍道湖の眺望が良く、日本三大湖城の一つとなっている。松江市街の北部に位置し、南に流れる大橋川を外堀としている。城郭の広さは東西360m、南北560mもあり、周囲に幅20〜30mの内堀をめぐらしていた。本丸を中心に据え、東に中郭、北に北出丸、西に後郭、東から南にかけ外郭、西から南にかけ二の丸が囲んでいる。二の丸の南には一段低く三の丸が配されている。本丸は天守と荒神櫓など6つの櫓を配し、周辺には腰曲輪・中曲輪・外曲輪・後曲輪を設けるなど要害堅固な縄張である。松江城を建てた堀尾吉晴は加藤清正と並んで城普請上手といわれており、石高に比べ贅沢と賞されるほどであった。桃山様式の天守は高さ30m、五層六階であり、築城当時の姿で現存している。天守閣の最上部の屋根にある鯱は高さが約2mあり、これは現存している物では最大である。江戸時代には松江藩の藩庁として、出雲地方の政治経済の中心となった。現在は松江城山公園として観光名所となっている。

●歴史●
1600(慶長5)年 関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾吉晴が24万石で月山富田城に入城し松江藩が成立。
月山富田城は周囲を山々に囲まれた中世の山城であり、近世城下町形成には不利であった。
1607(慶長12)年 末次城のあった亀田山に築城を開始。
1611(慶長16)年 6月、完成目前で堀尾吉晴が急死。
冬に松江城が完成。
1633(寛永10)年 堀尾忠晴没。嗣子が無く、堀尾氏は3代で廃絶。
1634(寛永11)年 京極忠高が26万石で入封。
三の丸の修築を行い、松江城の全容が完成。
1637(寛永14)年 京極忠高没。嗣子が無く、京極氏は廃絶。
1638(寛永15)年 松平直政が18万6千石で入封。
以後、明治維新まで松平氏が10代続く。
1871(明治4)年 廃藩置県により廃城。
1873(明治6)年 廃城令公布。天守を除く建造物は全て破却された。
天守も米100俵で売却されたが、有志の運動により買い戻された。
(入札価格の目安は釘・かすがいの古鉄値段だった)
1934(昭和9)年 国の史跡に指定。
1935(昭和10)年 天守が旧・国宝保存法に基づく国宝に指定。
1950(昭和25)年 文化財保護法の施行に伴い、天守は重要文化財となる。
1960(昭和35)年 本丸一ノ門と南多聞の一部を復元。
1994(平成6)年 三の丸と二の丸を結ぶ廊下門(千鳥橋)と二の丸下段の北惣門橋(旧眼鏡橋)を復元。
2000(平成12)年 二の丸南櫓と塀(40m)を復元。
2001(平成13)年 二の丸に中櫓・太鼓櫓と塀(87m)を復元。
2015(平成27)年 5月15日、天守が国宝に指定される。(10月28日ヒストリアで放送されました)

●堀尾吉晴●
1544(天文13)年、尾張国の土豪である堀尾泰晴の長男として生まれた。父は山内盛豊(山内一豊の父)とともに岩倉織田氏の重職にあった。吉晴は1559(永禄2)年、初陣である岩倉城の戦いで一番首を取る功名をたてた。岩倉織田氏滅亡後は浪人となり、信長、木下藤吉郎に仕えた。1573(天正元)年には近江長浜に100石を与えられた。その後も戦功を重ね、秀吉の晩年には中老に任命された。秀吉死後は徳川家康に接近し、関が原の戦いでは東軍につく。この時の戦功を賞され、家康から出雲富田24万石に加増移封された。松江城の築城を手がけたが、完成直前の1611(慶長16)年6月に68歳で死去。勇将であったが、温和な性格で「仏の茂助」と称されていた。

●松平直政●
1601(慶長6)年9月1日、結城秀康の三男として生まれた。10歳の時二条城で祖父・徳川家康と謁見し、出羽介直政と名乗るようになった。13歳で大坂冬の陣。身分が低く軍資金が無かった為、家臣が西本願寺より2000両を借金して出陣。翌年の大坂夏の陣では大いなる戦功を挙げ、敵将・真田幸村も軍扇を投げてその勇気を誉めたという。その戦功を祖父・家康からも褒め称えられ、打飼袋(食べ物やお金を入れる袋)を与えられた。その後、上総姉ヶ崎藩1万石、越前大野藩5万石、信濃松本藩7万石と加増が続く。1638(寛永15)年には出雲松江及び隠岐の20万石を与えられ、国持大名となった。性格は世話好きでよくしゃべり「油口の出羽」と評された。

●松平治郷●
7代目の松江藩主。「不昧」と号し、若くして禅を学び、茶道に精通した。家老の朝日茂保に絶大な権限を与え、破綻していた財政改革を断行。倹約と重税、借金の踏み倒しなどで切り抜け、多額の余剰金を出すまでになる。茶人大名としては当代一流で、後世「不昧流」の一派が成立したほどである。晩年は油屋肩衝・喜左衛門井戸などの高額な茶器を収集し、再び財政を傾かせた。

●100名城スタンプ設置場所●
天守入口
本丸開門時間 4月〜9月:7:00〜19:30
10月〜3月:8:30〜17:00
登閣時間 4月〜9月:8:30〜18:30
10月〜3月:8:30〜17:00
※登閣受付は閉閣30分前まで
入閣料 大人560円、小・中学生280円、外国人280円
休場日 無休

●地図● 島根県松江市殿町

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