ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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浜田城
2010/8/10記
(2010/8/3訪問)

石垣
 
●概要●
江戸時代初期、元和偃武の後の1619年に浜田市中心部の標高68mの亀山に築かれた。一国一城令の後に築かれた数少ない城の一つである。本丸にはかつて高さ14mの三重天守が明治時代初頭まであった。北部を松原湾、東部を浅井川、南部・西部を浜田川に囲まれ、天然の掘としていた。浜田藩は最初の藩主・古田氏以外は譜代・親藩が入れ替わり、長州藩に対する山陰側の押さえの最前線とされた。建物は長州軍に攻められた際に、藩兵が自ら火を放ち、殆どが焼失した。現在は城山公園として整備され、石垣と津和野藩武家屋敷より移築された門がある。

●歴史●
1619(元和5)年 古田重治が大坂の陣の功績により浜田に5万4千石を与えられ入封。
1623(元和9)年 5月に城と城下町が完成した。
1648(慶安元)年 2代・古田重恒がお家騒動(古田騒動)を起こしたため改易される。
1649(慶安2)年 松平(松井)康映が5万石で入封。
1759(宝暦9)年 5代・松平康福が下総国古河藩に転封。本多忠敞が5万石で入封。
1769(明和6)年 3代・本多忠粛が三河国岡崎藩に転封。同地より松平(松井)康福が55,400石で再び入封。
1836(天保7)年 3代・松平康任の時に清・朝鮮との密貿易が発覚(竹島事件)。康任は隠居し、4代・康爵は陸奥国棚倉藩へ転封。上野国館林藩より松平(越智)斉厚が6万1千石で入封。
1866(慶応2)年 第二次長州征伐の際に長州藩の大村益次郎が浜田に進軍。藩主・松平武聡は戦わずして逃走し、残った兵が浜田城と浜田の街に放火したため灰燼に帰した。
1967(昭和42)年 浜田県庁正門(津和野藩武家屋敷の門)が城内に移築される。


浜田県庁正門

復元図CG(城内案内板より)

●地図● 島根県浜田市殿町
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