ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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月山富田城
2010/8/9記
(2010/7/30訪問)

山中御殿跡の石垣
 
●概要●
歴代の出雲国守護職の居城で、戦国時代には尼子氏の本拠地となった。尼子氏は中国地方の覇権を巡って周辺諸国と争い、尼子経久の時期に出雲に基盤を造り上げ、嫡孫・晴久の代には山陰・山陽八ヶ国守護の大大名となった。天然の地形を利用した、難攻不落の要塞城といわれ「天空の城」とも呼ばれていた。その後、城を巡って度々攻防戦が行われたが、最終的に毛利氏によって滅ぼされた。1600年以降は堀尾氏が城主となるが、1611年、堀尾忠晴が松江城に移り廃城となった。

●歴史●
保元・平治頃
(1156〜59年の間)
平景清が富田荘に来た時に築城したとの伝承がある。
1221(承久3)年 承久の乱の功により、佐々木義清が出雲・隠岐2国の守護となり月山富田城に入る。
1343年 佐々木高氏(京極道誉)が守護となり、吉田厳覚を守護代とする。
1364年 吉田厳覚は山名時氏と戦って敗れ、山名時氏が出雲国守護となる。
1391(明徳2)年 山名満幸は明徳の乱で敗れ、再び京極氏が守護となる。
1392(明徳3)年 京極高詮は、甥の尼子持久を守護代とする。
1484(文明16)年 守護代・尼子経久が所領横領により追放され、塩谷掃部介が守護代となる。
1486(文明18) 年 尼子経久が月山富田城を奪回。その後、勢力を拡大し出雲の実質的守護権力となる。
1541(天文10)年 尼子経久没す。
1543(天文12)年 大内・毛利連合軍に攻められるが、新宮党の奮戦により撃退。
1554(天文23)年 尼子晴久が新宮党を粛清する。
1565(永禄8)年 毛利氏の包囲を受け篭城するが、翌年降伏し開城。福原貞俊、口羽通良が城代となる。
1569(永禄12)年 山中幸盛の尼子再興軍が攻めるが、落城せず。
1591(天正19)年 吉川広家が豊臣秀吉から東出雲、隠岐、西伯耆12万石を与えられ城主となる。
1600(慶長5)年 吉川広家は関ヶ原の戦いで西軍についたため岩国に転封。
堀尾吉晴が出雲・隠岐23万5千石の領主となり城主となる。
1611(慶長16)年 堀尾忠晴は月山富田城を廃城とし、松江城に移る。


大手門石垣

花ノ壇にある主屋と侍所(復元)

山中鹿介像

案内図(クリックで拡大)

●100名城スタンプ設置場所● 2016/2/21現在
安来市立歴史資料館
開館時間 9:30〜17:00
休館日 毎週水曜日
12月29日〜1月3日
入館料 大人200円、大学生・高校生100円、小・中学生30円

●地図● 島根県安来市広瀬町富田
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