ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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柏城
2011/5/22記
(2011/5/22訪問)

本丸のあった志木第三小学校

●概要●(現地案内板より)
この辺一帯を遺跡とする柏の城は、木曽義仲の子孫で武蔵屈指の豪族・大石氏が室町中期に造った居館である。そして京都聖護院の門跡・道興准后が文明8年(1468)から翌年にかけて関東各地を巡歴した際の紀行文集「回国雑記」に見える「大石信濃守といへる武士の館」とされている。ここで言う大石信濃守とは大石顕重のことで、本城は現八王子市の高月城だった。顕重以後の城主は定かではないが、大永年中(1521〜25)に修築が行われ、本丸(運動場のほぼ中央)、西の丸(長勝院境域)、二の丸(わき道に沿った校地の一角)、三の丸(前の市道を背にする一帯の宅地)を備えるに至ったと伝えられる。その後、大石氏は北条氏康に服属したが、天正の頃は大石越後守直久が城主であった。直久は顕重の曾孫・大石定仲の長男で、天正9年(1581)から北条氏の指令に基づき、駿河国獅子浜城の城代となっていた。柏の城が豊臣勢に攻められて落城したのは、武蔵国のほかの諸城と同じ時期の天正18年(1590)。徳川家康が江戸へ入府すると、家臣・福山月斎が新しい地頭として、この城地に居住した。

●歴史●
>平安時代 藤原長勝が館を築いたのが始まりとされる。
室町時代中期 大石氏が居館を築く。
1524(大永4)年 北条氏に対抗するため、大石氏により修築が加えられる。
1538(天文7)年 国府台合戦で大石氏は北条氏に降る。
1561(永禄4)年 上杉輝虎(謙信)に攻められ落城。


柳瀬川越しの遠景

舘ノ氷川神社

●地図● 埼玉県志木市柏町

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