ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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八尾城
2012/3/4記
(2011/8/2訪問)

八尾神社内にある城址碑
●概要●
八尾は物部氏一族で矢作りに従事した「矢作部」がいたと伝わり、矢尾・矢生・箭尾とも書かれていた。室町時代に入り、当地の土豪・八尾別当顕幸が城を築いたのが八尾城の始まりとされる。顕幸は南朝方の楠木正成に仕え、八臣の一として活躍。湊川の戦いで正成が戦死した後も子の正行をよく補佐したという。その顕幸は1338年に八尾城内で病没した。戦国時代になると三好氏の勢力下となり、家臣の池田教正が居城とした。教正は楠木正行の子孫である摂津池田氏と考えられている。三好長慶に仕えており、足利義輝暗殺にも参加した人物である。教正は若江三人衆の一人であり、長慶の死後は義継を支える重臣の筆頭であった。だが、織田信長との戦いで他の若江三人衆とともに内通し、主君・義継を滅ぼした。その後は池田恒興に仕え、池田輝政の代に美濃移封に従ったため、八尾城は廃城となった。その所在地は現在でも明確ではなく、八尾神社周辺であったとする西郷説と、地名などを根拠に南本町から高美町辺りであったとする八尾座説がある。

●歴史●
室町時代初期
(1330年頃)
八尾別当顕幸により築かれる。
1333(正慶2)年 八尾別当顕幸が南朝方となり赤坂へ移る。
以後、北朝勢力と南朝勢力による争奪戦が繰り返される。
1337(延元2)年 南朝方の小山三郎左衛門忠能、高木八郎兵衛遠盛らが奪還する。
1368(正平23)年 北朝方の細川頼之が攻め落とす。
1573(天正元)年 城主・池田丹後守教正が織田信長と通じ、主君・三好義継を敗死させる。
1584(天正12)年 教正が仕えていた池田輝政とともに美濃へ移り、八尾城は廃城となった。

●地図● 大阪府八尾市本町7丁目

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