ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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池田城
2012/3/3記
(2007/9/17訪問)

模擬櫓(展望休憩舎)
●概要●
池田城は室町時代はじめに池田教依により築かれた。五月山の南麓の尾根を利用しており、西の崖と北の杉ヶ谷川を巧みに利用している。はじめは主郭と小さな郭のみの小規模な城であったが、落城のたびに改修が加えられ、東と南に幅で20m、深さ6mの大規模な堀を加えるなど畿内でも屈指の規模を誇った城郭となった。池田氏は細川氏に仕え、摂津では有力な豪族であった。だが、織田信長か畿内に進出すると内紛が生じ、その際に一門の荒木村重による下克上により乗っ取られた。村重は池田氏以外の摂津三守護である和田惟政と伊丹親興を攻め滅ぼし、織田信長より摂津守護職に任じられた。この時に村重は伊丹城(有岡城に改名)へ移り、池田城は城主は不明だが池田氏の城となったという。その後、村重が織田信長に反旗を翻して有岡城が落城すると、その翌年に廃城となった。平成になり発掘調査が行われ、現在は池田城跡公園として整備され、枯山水や井戸、虎口が復元された。

●歴史●
1334(建武元)年 池田教依が城を築く。
1469(文明元)年 応仁の乱で東軍につき、西軍の大内政弘に攻め落とされる。
1508(永正5)年 細川高国に攻められ落城。城主の池田貞正は自刃した。
1531(享禄4)年 大物崩れの際にも細川高国に攻められる。
1568(永禄11)年 織田信長に攻められ落城。城主・池田勝正は織田信長の家臣となった。この時に伊丹親興・和田惟政とともに摂津支配を任され「摂津三守護」と呼ばれた。
1570(元亀元)年 池田知正が三好三人衆と通じ、荒木村重と共に当主・池田勝正を追放した。
1573(天正元)年 織田信長と足利義昭の対立で池田知正は義昭側につき、信長側についた荒木村重に追放される。
1574(天正2)年 荒木村重が有岡城へ移る。池田城は村重の家臣となった池田知正が城主となったといわれている。
1578(天正6)年 荒木村重が織田信長に叛き、翌年9月に落城。
1580(天正8)年 織田信長により廃城となる。
1989(平成元)年 4年にわたる発掘調査が開始される。
1999(平成11)年 池田城跡公園が完成する。

●案内●
池田城跡公園
開園時間 4〜10月:9:00〜19:00
11〜3月:9:00〜17:00
休園日 火曜日(祝日の場合は次の平日)
年末年始(12月29日〜1月1日)
入園料 無料
駐車場 すぐ北にある五月山公園の駐車場を利用(有料)
最初の2時間200円、3時間までで400円、以後30分ごとに150円加算

●地図● 大阪府池田市城山町
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