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ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・

そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。

そして気が付いたら全国津々浦々(笑)

これまでに訪問したお城を紹介します。




沖縄県のお城
安慶名城(あげな)うるま市
伊計城(いけ)うるま市
伊祖城(いそ)浦添市
糸数城(いとかず)南城市
伊波城(いは)うるま市
浦添城(うらそえ)浦添市
大里城(おおざと)南城市
御物城(おもの)那覇市
垣花城(かきのはな)南城市
勝連城((かつれん)うるま市
具志川城(ぐしかわ)糸満市
具志川城(ぐしかわ)うるま市
具志頭城(ぐしちゃん)八重瀬町
越来城(ごえく)沖縄市
座喜味城(ざきみ)読谷村
佐敷城(さしき)南城市
首里城(しゅり)那覇市
勢理城(じり)八重瀬町
多々名城(たたな)八重瀬町
玉城城(たまぐすく)南城市
知念城(ちねん)南城市
知花城(ちばな)沖縄市
中城城(なかぐすく)北中城村
今帰仁城(なきじん)今帰仁村
名護城(なん)名護市
南山城(なんざん)糸満市
真壁城(まかべ)糸満市
三重城(みい)那覇市
八重瀬城(やえせ)八重瀬町
山田城(やまだ)恩納村
屋良城(やら)嘉手納町
屋良座森城(やらざむい)那覇市





越来城
2012/12/2記
(2012/6/30訪問)

城前児童公園
●概要●
越来グスクは、後に王となる尚泰久や尚宣威、阿麻和利の乱を鎮圧した鬼大城らが城主を務めた。中頭の中央に位置する高台に築かれ、南北の海まで見渡せる要所であった。地理的には護佐丸の中城城と阿麻和利の勝連城のちょうど中間にあり、状況的にも両者に劣らぬ規模の城であったと考えられる。しかし、沖縄戦や戦後駐留した米軍に徹底的に破壊されたため、城跡としての名残は無い。発掘調査では掘立柱の跡が見つかっているが、石積みなどは見つかっていない。現在は住宅街に囲まれた小さな公園となっている。

●歴史●
1409年に中山を制圧した尚巴志は、父・尚思紹を即位させ第一尚氏王朝を成立させた。その後、1416年に北山、1429年には南山を攻め滅ぼして三山を統一し、尚巴志王は1439年に68歳で死去した。以後、彼の子弟が王位を継ぐが、いずれも5年以内に死去したため、王族同士の王位をめぐって争うようになった。そのため中央政権の支配基盤は大きく揺らぎ、按司(地方の有力者)も巻き込んだ騒乱となった。この争いに終止符を打ったのが尚泰久王の腹心だった金丸で、尚徳王を滅ぼして即位し、第二尚氏王朝を成立させた。
1435年 尚泰久(尚巴志の7男)が越来王子となる。
1453年 志魯・布里の乱
1453年に4代王・尚金福が在位4年で死去すると、尚金福の子・志魯と尚巴志の6男で尚金福の弟である布里が王位を巡って争った。両者は首里城中で戦闘を行ったため、城は焼失した。だが、両者とも戦死したため、次の王には尚巴志の7男・尚泰久が即位した。
1458年 護佐丸・阿麻和利の乱
1458年、中央政権の基盤は弱体化して各地の有力按司に対して疑心暗鬼であった。この状況を利用してライバルを失墜させたのが阿麻和利である。阿麻和利は勝連城を本拠とし、東アジアとの貿易で莫大な利益を得ていた。阿麻和利はガタガタになった中央政権に取って代わろうと野心に燃えていたが、その野望実現の障害となっていたのが護佐丸である。護佐丸は尚巴志とともに北山を討伐した功臣であり、阿麻和利の勝連城と首里城の間にある中城城を本拠としていた。首里城へ軍勢を進めようとするとどうしても護佐丸の支配地を通らざるを得ない。そこで護佐丸が兵馬の調練を行っている時を見計らって反乱の準備をしていると讒言し、その言葉を信じた尚泰久王は護佐丸討伐の軍勢を差し向けた。中城城を取り囲む軍勢が王府軍であると知った護佐丸は落胆し、異心が無いことを示すため抵抗することなく自害した。護佐丸の排除に成功した阿麻和利は、密かに首里城攻略の準備にとりかかった。だが、この企みは阿麻和利の妻で尚泰久王は娘でもある百度踏揚が、付き人である鬼大城とともに首里城へ駆け込んだことにより露見した。阿麻和利は鬼大城を大将とする王府軍により討伐された。
1460年 尚泰久王が死去。その子・尚徳が王位を継ぐ。
1469年 尚徳王が29歳で死去。尚泰久の腹心であった金丸がクーデターにより即位。第二尚氏王朝が成立し尚円王となる。その際に鬼大城も攻め滅ぼされた。
1470年 尚円王の弟・尚宣威が越来王子となる。
1476年 オギヤカ事件
1476年に第二尚氏王朝の祖・尚円王が死去。その子・尚真はまだ11歳であったため、尚円の弟・尚宣威が王位に就いた。琉球王朝では王位に就いてから半年後に神号を授かる儀式を執り行うが、この時に事件が起きた。神事を司る女官たちは尚宣威ではなく尚真を賛美する歌を歌い始めたのである。これは、神のお告げが尚円の子・尚真が次の王であるということを意味していた。尚宣威はショックの余り退位し、程なく死去してしまった。だが、これは自分の子を王位に就けたいという尚円王の妻・オギヤカの陰謀であった。尚宣威王の退位後に幼い尚真が王位に就いたが、実権はオギヤカが握ったのである。

●写真●

展望台?

現地説明板(クリックで拡大)

●地図● 沖縄市城前町(城前児童公園)
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