ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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岡山城
2009/1/27記
(2007/8/18・2010/8/1訪問)

復元天守
 
●概要●
戦国時代に備前西部から美作、備中に勢力を伸ばした宇喜多氏が本拠としたことで近世城郭の基礎が生まれ、その後小早川氏、両池田氏により整備、拡張が行われた。岡山城は標高が十数メートルの丘が連なる小高い土地に建設された。その丘のうち「岡山」に本丸が設けられたことで、城名そして城下町の名の元になった。本丸の北から東には郭が無く、非常に防備が薄い。そのため旭川の流路を変更し、天然の堀として東側の備えに利用した。ただし、この不自然な形の流路は城下に洪水を多発させる原因となり、やがて百間川の整備へとつながる。また、郭の代わりとして「後園(後楽園)」が築かれた。天守は4重6階の複合式望楼型で、初重平面形状が歪んだ多角形をしているため、安土城天主を模したのではないかと言われている。外観は黒漆塗の下見板が特徴的で「烏城」と呼ばれる。明治時代になると建造物の大半が取り壊され、堀は一部を除いてほとんどが埋められた。さらに第二次大戦中、空襲のため天守と石山門を焼失した。2つの櫓、本丸付近の石垣、内堀が現存し、戦後に天守、不明門、廊下門、六十一雁木上門などが再建された。現存する月見櫓と西之丸西手櫓は国の重要文化財に指定されている。隣接する大名庭園「後楽園」は水戸の偕楽園、金沢の兼六園とともに、日本三名園として並び称される。

●歴史●
1346〜69年
(正平年間)
名和氏一族・上神高直が石山台に城を築いたと伝わる。
1521〜28年
(大永年間)
金光氏が居城とし、金川城主・松田氏に仕えていた。
1570(元亀元)年 宇喜多直家が金光宗高を謀殺し、この地を支配した。
1573(天正元)年 直家は居城を亀山城から石山城に移した。
1575(天正3)年 浦上宗景の兄・政宗の孫をたてて宗景を播磨へ追放。事実上の下克上を行い、備前、美作、播磨と備中の一部を支配下に置いた。
1590〜97年
(天正18〜慶長2)年
直家の子・秀家は大改修を行ない、近世城郭としての体裁を整えた。
1600(慶長5)年 関ヶ原の戦いで西軍の主力となった秀家は改易となり、八丈島に流刑となった。
小早川秀秋が備前・美作52万石の領主として入城。
1602(慶長7)年 秀秋が急死。嗣子がなく小早川家は断絶した。
1603(慶長8)年 姫路城主・池田輝政の次男・忠継が城主となる。幼少(5歳)のため兄・利隆が「備前監国」として代政した。
1615(慶長20)年 忠継死去。忠継の弟・忠雄が入城。現存する月見櫓はこの頃建てられた。
1632(寛永9)年 忠雄の子・光仲が鳥取へ転封。利隆の子・光政が鳥取より入城。
以後、幕末まで光政系池田氏の居城となる。
1687(貞享4)年 光政の子・綱政により14年の歳月をかけて後楽園が造営される。
1869(明治2)年 廃藩置県により岡山城は藩の府城としての役割を終え、兵部省管轄となった。
1873(明治6)年 廃城令により順次建物の取り壊し・堀の埋め立てが行われた。
1882(明治15)年 この頃までに天守・月見櫓・西之丸西手櫓・石山門を残すのみとなった。
1896(明治29)年 本丸趾に県立岡山中学校が建てられた。
1931(昭和6)年 天守が国宝保存法に基づく当時の国宝に指定。
1933(昭和8)年 月見櫓、西之丸西手櫓、石山門が国宝保存法に基づく国宝に指定。
1945(昭和20)年 6月29日の岡山大空襲で天守・石山門を焼失。
1950(昭和25)年 焼け残った月見櫓・西之丸西手櫓が重要文化財となる。
1966(昭和41)年 天守・不明門・廊下門・六十一雁木上門・塀の一部が再建された。
1996(平成8)年 築城400年記念事業として鯱に金箔を施す。


廊下門

不明門

月見櫓

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●100名城スタンプ設置場所●
天守入口
岡山城天守
開館時間 9:00〜17:30(入館は17:00まで)
入館料 大人300円、小中学生120円
休館日 年末(12月29日〜31日)
烏城公園駐車場 はじめの1時間300円、以後30分ごとに100円。
※岡山城天守の入場券半券または押印された駐車券を持参すると150円割引

●地図● 岡山市北区丸の内
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