ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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備中高松城
2010/8/14記
(2010/8/1訪問)

本丸跡
 
●概要●
羽柴秀吉による水攻めで有名である。周囲は低湿地帯で天然の堀を形成し、難攻不落を誇っていた。築城時期ははっきりしないが、備中守護代で三村氏の有力家臣でもあった石川氏が築いた。1575年の備中兵乱で石川氏が主家三村氏とともに毛利氏に滅ぼされた後は、清水宗治が城主となった。1582年に羽柴秀吉は中国攻めの先鋒を任され、4月より高松城攻めにかかった。周囲は沼地に囲まれていたため持久戦となった。5月に入り花房正成の献策により城を堰堤で囲む工事が開始された。突貫工事で11日後に堤防が完成し、堰堤内には水が溢れ城は見事に水没した。ここに信長を招く準備をしていたが、6月2日に本能寺の変が起こり計画は頓挫。翌日、毛利軍への密使を秀吉軍が拘束し、密書で信長の死を知った秀吉軍は毛利軍に知られぬよう秘匿し、毛利方の外交官・安国寺恵瓊を仲介役に和議を成立させた。城兵の命と引き替えに6月4日宗治は切腹。秀吉は明智光秀と対決すべく「中国の大返し」を行い、近畿に引き返した。この落城の後、宇喜多氏の家老・花房氏が入城。毛利氏の攻撃に備えて城を改修した。関ヶ原の戦いで花房氏は主君に反し東軍に付いたため江戸時代には旗本に取り立てられた。数年はここに陣屋を構えたが備中国阿曽に移ったため廃城となった。

●歴史●
永禄年間
(1558〜70)
三村氏家臣で備中守護代の石川氏が築いた。
1575(天正3)年 備中兵乱で石川氏が主家・三村氏とともに毛利氏に滅ぼされ、清水宗治が城主となった。
1582(天正10)年 羽柴秀吉による水攻め。戦後、宇喜多氏の家老・花房氏が城主となる。
1615年頃 数年はここに陣屋を構えたが、大阪夏の陣ごろ備中国阿曽に移り廃城となる。


水攻め築堤跡(蛙ヶ鼻)

発掘された杭

●案内●
高松城址公園資料館
開館時間 10:00〜15:00
休館日 月曜日、年末年始
入館料 無料

●地図● 岡山市北区高松
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