ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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臼杵城
2009/8/11記
(2008/8/5訪問)

臼杵公園
 
●概要●
1562年、大友宗麟により臼杵湾に浮かぶ丹生島に築き、府内大友館より拠点を移した。耳川の戦で大敗後、大友氏は急速に衰退。島津氏による侵略は激しさを増した。宗麟は豊臣秀吉に助けを求め、九州征伐が行われた。島津氏は府内を落とすなど大友氏を追い詰めたが、国崩し2門で臼杵城を死守。九州征伐に間に合い滅亡を免れた。この翌年、宗麟はこの世を去った。跡を継いだ義統が改易されると、福原直高が城主となった。関ヶ原の戦後は稲葉貞通が城主となり、以後、明治に至るまで稲葉氏の居城となった。廃藩後、建物は一部を残し取り壊され、周囲の海も埋め立てられた。

●歴史●
1563(永禄6)年 大友宗麟により完成。府内城より本拠を移した。
1578(天正6)年 宗麟が日向に出兵し、耳川の戦で島津氏に大敗。以後、大友氏の勢力は急速に衰えた。
1586(天正14)年 島津氏の大軍を「国崩し」(大砲)で撃退。
1593(文禄2)年 大友義統が文禄の役で敵前逃走したことから改易。
石田三成の妹婿である福原直高が6万石で入城。
1597(慶長2)年 太田一吉が3万5千石で臼杵城主となる。
1600(慶長5)年 5万石で稲葉貞通が入封。以後、明治維新まで稲葉氏15代の居城となった。
1877(明治10)年 西南の役で西郷隆盛軍により一日で落城。
2001(平成13)年 大門櫓が復元された。

大友宗麟
(おおとも そうりん)

1530年1月31日、豊後府内に生まれた。キリシタン大名としても有名。海外貿易による経済力と優れた武将陣、巧みな外交により版図を拡げた。政略においては、毛利元就ですら手玉に取るほどの手腕を見せている。一時は九州6ヶ国を平定し九州最強の大名であった。しかし、島津義久との戦に敗れ、晩年は豊臣秀吉を頼って豊後1国を維持するのがやっとというほどまでに衰退した。1587年6月11日、チフスにより死去。享年58。


畳櫓(現存)

大門櫓(復元)
明治初年頃の臼杵城

島の外洋側に大きな岩があり、この岩を頭に見立てて巨亀城、金亀城、亀城などと呼ばれた。3層4階の天守と31の櫓があった。明治維新で2つ櫓を除きほとんどが取り壊された。

●地図● 大分県臼杵市臼杵

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