ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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佐伯城
2011/1/4記
(2008/8/5訪問)

三の丸櫓門(現存)
 
●概要●
関ヶ原の戦いの功により毛利高政は佐伯の地を与えられた。しかし、佐伯氏の旧居城であった栂牟礼城は山城であり、統治には不便であった。そのため、高政は栂牟礼城を廃し、番匠川河口近くの八幡山に新たに城を築いた。総石垣の本丸、二の丸、西出丸、北出丸、捨曲輪を連郭式に配し、3代・高尚の時に三の丸を加えた。3重の天守があった本丸と本丸外曲輪を中心に2重櫓5基、平櫓1基、門7棟などがあった。本丸と二の丸は掘切で遮断され、当時は廊下橋が渡されていたと考えられている。江戸初期の火事と放棄、明治時代の破却により、山上の城は建物を失ったが、主郭部の石垣と三の丸御殿の正門が三の丸に現存する。また、三の丸御殿の一部が市内船頭町に地区集会所(住吉御殿)として移築現存する。この他、お浜御殿が城下町佐伯国木田独歩館として、三の丸御殿敷台が佐伯市船頭町の公民館としてそれぞれ現存している。

●歴史●
1601(慶長6)年 豊後国日田郡日隈城より毛利高政が、佐伯氏の居城であった栂牟礼城へ入封した。
1602(慶長7)年 高政は6年の歳月をかけ八幡山に新たに城を築いた。
1617(元和3)年 火災で本丸と天守を焼失。天守は再建されなかった。
1637(寛永14) 3代・高尚は麓に三の丸を増築。以後、城の中心は三の丸に移った。
1709(宝永6)年

居館が三の丸に移されて以降、山上の本丸・二の丸は放置され荒廃した。
そのため、6代・高慶は天守以外の建物を復興、修復した。

1871(明治4)年 佐伯県庁が置かれ佐伯城は廃城となった。三の丸以外の建物は全て撤去された

●地図● 大分県佐伯市西谷町

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