ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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高田城
2015/11/28更新
2010/1/11記
(2007/7/7・2010/4/17訪問)

三階櫓(復興)

●概要●
1610年に越後国福島城主の堀忠俊が家老同士の騒乱により改易されると、徳川家康の六男・松平忠輝が入封。福島城は完成して10年に満たない城であったが、海辺に近い福島城では「波の音がうるさい」ということで、内陸部の高田の地に天下普請により高田城を築いた。縄張りと工事の総監督は忠輝の舅・伊達政宗が行った。関川、青田川などを外堀として利用し、石垣は築かれなかった。天守はなく、三階櫓を建てて天守の代用とした。当初の高田藩は加賀藩を監視する重要な役目があったが、松平忠輝の改易や越後騒動、親藩、譜代大名の懲罰的な転封が重なり、負のイメージが強くなった。明治以降は陸軍の駐屯地として土塁の撤去、堀の埋立てが行われ、東半分は旧状をとどめていない。西半分には堀、土塁の一部が残されており、現在は高田公園として整備されている。陸軍の入城時に3000本を超す桜が植えられ、日本三大夜桜のひとつに数えられている。

●歴史●
1610(慶長15)年 堀忠俊が改易され、徳川家康の六男・松平忠輝が福島城に60万石で入封。
1614(慶長19)年 忠輝が高田城を築き、福島城は廃城となる。
1616(元和2)年 忠輝改易
1624(元和10)年 松平光長が越前北ノ庄から26万石で入封
1665(寛文5)年 高田地震により倒壊、三階櫓を建設
1681(延宝9)年 越後騒動により、光長改易
1742(寛保2)年 榊原氏が播磨姫路から15万石で入封
1870(明治3)年 本丸御殿、三階櫓などを焼失。
1873(明治6)年 廃城令によって存城処分となり焼失しなかった建造物も取り壊された。
1993(平成5)年 上越市発足20周年記念事業として、焼失した三階櫓を復興した。
2002(平成14)年 高田城築城当時、二の丸から本丸に渡っていた極楽橋が発掘調査の資料をもとに再建された。

高田城絵図


●案内●
御三階櫓
開館時間 9:00〜17:00
観桜会期間中は21:00まで
入館料 大人300円、小中高生150円
休館日 毎週月曜日(休日の場合はその翌日)
休日の翌日
年末年始(12月29日〜1月3日)

●地図● 新潟県上越市本城町

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