ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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新発田城
2015/11/28更新
2009/7/29記
(2007/7/7訪問)

復元三階櫓

●概要●
鎌倉幕府設立に戦功のあった佐々木盛綱の傍系である新発田氏が居館を構えたのが始まりとされる。代々新発田氏が治めていたが、1581年に新発田重家が上杉景勝に反乱(新発田重家の乱)を起こした。7年後に新発田城は落城し、新発田氏は滅亡した。その後、上杉氏が会津に移り、春日山城に入った堀秀治の与力として溝口秀勝が6万石で入城。11代続き、明治を迎えた。明治になり廃城令により破却。城郭跡の大部分は現在も陸上自衛隊の駐屯地となっている。三階櫓は自衛隊の敷地内にあるため立ち入ることはできず、観覧できるのは二の丸隅櫓、本丸表門、辰巳櫓のみである。周辺は新発田城址公園として整備されている。

●歴史●
鎌倉時代初期 幕府設立に功のあった佐々木盛綱の傍系である新発田氏により築城されたと考えられている。
1581(天正9)年 新発田重家が上杉景勝に対して反乱を起こした(新発田重家の乱)。
1587(天正15)年 景勝により落城し、新発田氏は滅亡した。
1597(慶長2)年 上杉氏の会津転封に伴い、溝口秀勝が6万石で入封。
外様ながら一度も転封されることなく明治を迎える
新発田重家時代の古丸を取り込み、本格的築城にとりかかる。
1654(承応3)年 3代・溝口宣直の時に完成。
1668(寛文8)年 火災により三階櫓が焼失。
1669(寛文9)年 地震により建造物が倒壊。
1679(延宝7)年 4代重雄の代にはほぼ全てが再建された。
1873(明治6)年 廃城令により表門・二の丸隅櫓と石垣のみを残し大半が破却された。
城跡には陸軍の歩兵第16連隊が置かれた。
2004(平成16)年 三階櫓と辰巳櫓が復元された。

新発田重家
(しばた しげいえ)

揚北衆佐々木党の一人。当初は五十公野治長(いじみのはるなが)と称していた。御館の乱では上杉景勝を支持し、乱に介入した蘆名盛氏・伊達輝宗を退けるなど大活躍した。乱中に兄が死んだため新発田家を相続し、新発田重家と名乗った。数々の武功を挙げたが、恩賞は家督相続保障のみ。重家は新潟津を奪取し独立した。伊達氏、蘆名氏、柴田勝家と連携し上杉家を滅亡寸前まで追い詰めたが、本能寺の変や蘆名氏滅亡、伊達氏の介入放棄に加え、上杉氏が豊臣秀吉の後ろ盾を得たため次第に劣勢となる。1587年、新発田城が厳重に包囲される中で自刃し、乱は終結した。


旧二の丸隅櫓

辰巳櫓
●100名城スタンプ設置場所●

本丸表門
開門時間 9:00〜17:00
※11月は9:00〜16:30
開門期間 4月〜11月
入場料 無料
駐車場 100台・無料
自衛隊の基地内(三階櫓含む)は立入禁止

新発田市役所本庁舎1階案内受付
(12月〜3月下旬の平日)8:30〜17:15

新発田市役所本庁舎1階裏口警備員室
(12月〜3月下旬の土日祝日、年末年始)8:30〜17:15

本丸表門

●地図● 新潟県新発田市大手町

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