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そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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村上城
●地図・アクセス● 新潟県村上市一之町 2017/8/27(訪問日 2015/8/6)
◆概要◆
村上城は16世紀初頭に本庄時長またはその子・本庄房長により築かれたと推定され、別名・本庄城、舞鶴城とも呼ばれています。 本庄房長は1539年に大宝寺氏救援のため遠征していた時に弟・小川長資に本庄城(のちの村上城)を乗っ取られてしまいました。 この事にショックを受けた本庄房長は間もなく病死し、小川長資が本庄房長の死後に生まれた千代猪丸(のちの本庄繁長)の後見となりました。 小川長資は長尾家の家督争いでは長尾景虎(のちの上杉謙信)に味方して信頼を得たため、次第に千代猪丸を軽視するようになります。 しかし、1551年に13歳になった本庄繁長が父の13回忌の際に小川長資を捕らえ、切腹させて本庄家の実権を取り戻しています。 本庄繁長は数々の戦で大活躍し、上杉謙信から「武人八幡」と称えられる程でした。 1568年から翌年にかけて謀反を起こしていますが、嫡男・千代丸を人質に出し帰参しています。 以後は上杉家に忠誠を尽くし、1598年に上杉景勝の会津移封に従って田村郡の守山城へ移りました。

本庄氏の次に村上城(当時まだ本庄城)の城主となったのが村上頼勝です。 村上頼勝は出自不明ですが、信濃の村上義清の子または孫と称していたようです。 はじめ丹羽長秀に仕えていましたが、その没後は豊臣秀吉の直臣となっており、堀秀治の与力となることを命じられています。 本庄城に入ると総石垣の近代城郭へと改築を始め、城の名前も村上城と改称しました。 村上氏は村上頼勝の養子・村上忠勝の代に家中で暗殺騒動があったため1618年に改易されてしまいます。

その後は堀氏、本多氏、松平氏と次々に城主が替わり、1729年に内藤弌信が城主となってからは、明治時代まで内藤氏が城主として続きました。 1868年にあった北越戊辰戦争では幕府軍に味方しましたが、長岡藩が敗れると藩主・内藤信民は悲観し、城内で自殺してしまいました。 その後も幕府方の家老・鳥居三十郎主導のもと新政府軍と戦いますが敗れ、村上城は焼失しました。

現存する石垣は、1649年に城主となった松平直矩による改修時のものと推定されています。 1993年に国の史跡に指定され、2017年4月6日には続日本100名城に選出されました。


現地の案内図

P城址碑と説明板

P登城口前の広場は城主居館跡です

P一文字門跡から登ります

七曲道は九十九折れ

F登り切った所が四ツ門跡です

F内側から見た四ツ門跡

B三の丸

G玉櫓跡

E御鐘門跡

E御鐘門跡の枡形

A二の丸では出櫓の石垣が見えます

D出櫓の石垣

@本丸の石垣

戦国時代の大手道・埋門跡

戦国時代の大手道の説明板

@本丸の入口・冠木門跡

@本丸内の様子

@本丸のC天守櫓跡

天守櫓跡からの眺め

C天守櫓の石垣を裏から

@本丸の石垣を裏から