ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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筒井城
2011/9/4記
(2011/8/2訪問)

菅田比売神社
●概要●
筒井城は興福寺衆徒・筒井氏の居城であり、大和国の中心的存在であった。南北400m、東西500mで筒井の集落を囲んでおり、中世の城としては規模が大きなものであった。現在でも筒井集落では、道が複雑に折れ曲がっており直進できない構造になっている。また、内堀で囲まれた部分は「シロ畠」と呼ばれ、周囲より一段高い畠地となっている。この部分がちょうど筒井城の中心的な場所であった。室町時代から戦国時代にかけて数度に渡り戦いの舞台となったが、1580年に織田信長の大和一国破城命令により廃城となった。城跡には菅田比売神社があり、土塁や水堀などが残っている。

●歴史●
1429(永享元)年 文献上の初見は『満済准后日記』であり、城主は筒井順覚であったと記されている。
1455(康正元)年 第一次筒井城の戦い
7月、筒井順永は畠山弥三郎に味方しており、畠山義就軍により筒井城が攻められたが持ちこたえた。
8月、貝吹山城の越智伊予守が筒井城の攻囲軍に加わり、筒井城は落城した。筒井順永は福住城へ落ち延びた。
1459(長禄3)年 管領・細川勝元の仲介により畠山義就・越智伊予守連合軍と和睦。筒井城にいた越智伊予守軍は城を去り、筒井順永が帰城した。
1470(文明2)年 第二次筒井城の戦い
河内で勢力を拡大した畠山義就が大和の畠山政長派の城に攻め寄せ、筒井城も落城。筒井順永は箸尾城に退避した。大和は義就派が制圧した。
1477(文明9)年 第三次筒井城の戦い
越智・古市連合軍が筒井城に攻め寄せ落城。筒井順尊は福住城に落ち延びた。
1483(文明15)年 第四次筒井城の戦い
畠山義就派の古市氏が筒井城に攻め寄せ落城。筒井軍は東山内へ落ち延びた。
1516(永正13)年 第五次筒井城の戦い
大和を実質的に支配していた赤沢氏が丹後で戦死し、大和の覇権争いが再び始まった。筒井氏と元々敵対関係にあった越智氏、古市氏らが筒井城に攻め寄せた。
1565(永禄8)年 第六次筒井城の戦い
筒井順昭が28歳の若さで病没すると、幼い筒井順慶が跡を継いだ。この機を逃さず松永久秀は本格的に大和への侵攻を始めた。三好三人衆と交戦中であった松永久秀だが、筒井城を急襲し攻め落とした。
1566(永禄9)年 第七次筒井城の戦い
松永久秀が三好三人衆との戦で堺に出兵した隙を突いて筒井順慶が筒井城を奪回。
1568(永禄11)年 第八次筒井城の戦い
三好三人衆と組んだ筒井軍が優勢に立ち、松永久秀は劣勢に立たされていた。だが、織田信長が畿内に進出すると松永久秀が織田信長に帰順。織田軍が援軍に加わり形勢が逆転したため、筒井軍からも多くの離反者が出た。勢いを得た松永軍は筒井城を攻め落とし、筒井順慶は福住中定城へ落ち延びた。
1571(元亀2)年 松永久秀との辰市城合戦で筒井軍が勝利。戦後、明智光秀の仲介により筒井順慶も織田信長に帰順することが認められ、筒井城は筒井順慶に返された。
1577(天正5)年 筒井順慶が大和国守護に任じられると松永久秀が織田信長に謀反を起こし、信貴山城で自害した。
1580(天正8)年 織田信長の「大和一国破城命令」により廃城となった。


城址碑

水堀跡

●地図● 奈良県大和郡山市筒井町
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