ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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高取城
2016/2/24更新
2008/12/29記
(2008/12/27訪問)

城址石碑と本丸の石垣
●概要●
標高583m、比高350mの高取山山上に築かれ、備中松山城(岡山県)、岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の一つに数えられる。城下町より望む城の姿は「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐(高取の旧名)の城」と謡われた。山城にもかかわらず城郭は広く、城内の面積は約100ha、周囲は約3km、城郭全域の総面積約600ha、周囲約30kmにも及んだ。1615(元和元)年の一国一城令の際も「重要な山城」として破却を免れ、現在に至るまで石垣や石塁が残されている。

●歴史●
1332(正慶元)年 南朝方であった越智邦澄が築城したのが始まりと伝えられている。
越智氏の支配が長く続き、戦国時代になるとここが越智氏の本城となった。
1532(天文元)年 飯盛城の戦いで圧勝した証如軍(一向一揆衆)は大和国に侵攻してきた。
対立関係にあった興福寺の僧兵たちは越智氏に庇護を求めてきた。
証如軍は高取城を包囲したが、筒井軍に背後を襲われ敗走した。
1580(天正8)年 織田信長により大和国内は郡山城一城と定められ廃城となった。
1583(天正11)年 筒井順慶の配下となっていた越智玄蕃頭頼秀が殺害され、越智氏は滅亡した。
1584(天正12)年 筒井順慶は支城網の一つとして本格的城塞へと改めた。
1585(天正13)年 筒井氏は伊賀国上野に転封となり、豊臣秀長が郡山城に入城。
高取城には当初、秀長の重臣・脇坂安治が入ったが、後に本多利久に与えられた。
1589(天正17)年 利久は家臣・諸木大膳に命じて新しい縄張りで築造を施した。
本丸には3重の大小天守、二の丸には大名屋敷が造営され、櫓が17基立ち並んだ。
類を見ない広壮な山城が出現し、家臣団は山麓に城下町を営んだ。
1600(慶長5)年 石田三成は松倉右近を大将に城を攻めたが、本多俊政の従弟・正広がこれを撃退。
関ヶ原の戦い後、1万石の加増を受けて高取藩2万5千石の初代藩主となった。
1637(寛永14)年 俊政の子・政武は嗣子無く没し、本多氏は断絶した。
桑山一玄(大和新庄藩主)と小出吉親(丹波国園部藩主)が城番となった。
1640(寛永17)年 旗本の植村家政が2万5千石で大名に取り立てられ、新たな城主となった。
以後、植村家壷まで14代にわたって植村氏が城主となった。
1873(明治2)年 版籍奉還により廃城となった。
入札により建造物の大半が近隣の寺院などに売却された。
天守をはじめ主要建造物は残っていたが、人里離れた山頂であるため自然崩壊した。
1953(昭和28)年 国の史跡に指定された。


新櫓と太鼓櫓の跡

天守台

本丸の入口は複雑に入り組んでいる

本丸はかなり広い

●100名城スタンプ設置場所●
夢創館 10:00〜16:00
月曜休館
入館無料
町屋カフェ
noconoco
平日9:00〜16:00
休日8:00〜17:00
木曜定休

●地図● 奈良県高市郡高取町上子嶋
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