ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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古市城
2012/5/4記
(2011/8/3訪問)

城址碑
●概要●
古市城は築城年は不明だが、文献上の初見は1444年であり、それまでには築かれていたものと見られる。古市は奈良市南東にある地名で、1304年に福島の市が興福寺の近くに移されたことからそうに呼ばれるようになったという。興福寺が福島の市を支配するために腹心の衆徒を派遣しており、後に古市氏を名乗るようになったと考えられている。応仁の乱後、古市澄胤の時代には越智氏とともに大和国を実質的に支配するなど最盛期を迎えたが、1497年に筒井氏との戦いに敗れてからは衰退の一途を辿った。古市氏は大和の国人としては珍しく六党に属さず、春日若宮祭礼に流鏑馬を勤仕することが無かった。そのためか、細川管領家による赤沢氏や木沢長政、松永久秀といった大和の外からの侵攻に加勢することが多く、外部勢力の力を借りて勢力を維持していたことが伺える。だが、最終的には筒井氏との争いに敗れて古市の地を離れ、大平尾と邑地に隠棲したと伝えられる。現在、城跡は奈良市立東市小学校の敷地となっており、遺構らしきものは見当たらない。だが、本丸跡地は周囲より一段高くなっており、東から奈良盆地を一望できる立地にあることが往時を偲ばせる。

●歴史●
1444(嘉吉4)年 興福寺門跡・経覚が筒井氏を攻めた際、古市胤仙は古市城から筒井館を攻めた。
1445(文安2)年 筒井順永により経覚の鬼薗山城が陥落。経覚は古市城に拠り、筒井氏と古市氏の争いが続いた。この争いは8年後に古市胤仙が死去するまで続いた。
1466(文正元)年 古市胤栄は古市城を堀によって城下と一体化した惣構えの城とした。
1497(明応6)年 古市澄胤は筒井氏との戦いに伊賀に逃走。古市城は破却された。
1500(明応9)年 筒井氏と越智氏が和睦。これを嫌った細川政元が家臣の赤沢朝経に大和へ攻め込ませた。古市澄胤は細川方として赤沢軍を先導し、古市城を再建した。
1504(永正元)年 細川政元の侵攻に対抗するため、大和の国人は一体となり大和国人一揆を結成。
古市城は攻められ落城。
1505(永正2)年 細川政元が再び赤沢朝経に大和を攻めさせ、大和国人衆が大敗。
古市澄胤・胤盛父子は赤沢軍に加わり、古市城を再々建した。
1507(永正4)年 赤沢朝経とともに丹後の一色義と戦い、古市胤盛が討死。
1508(永正5)年 赤沢長経とともに河内高屋城を攻めたが敗れ、古市澄胤が討死。
1511(永正8)年 古市公胤は吐山・多田氏ら山内衆の協力を得て古市を回復。
城域の中心を南に移した。
1520(永正17)年 筒井順興との戦いに敗れ、古市公胤は鉢伏城を築いて本拠を移した。
1528(大永8)年 細川澄元の部将・柳本賢治が大和に攻め込む。
越智氏と古市氏は柳本氏に加勢することで勢力を回復した。
1542(天文12)年 筒井順昭に敗れた古市公胤は古市城を自焼して退去。
以後、古市城を取り戻すことは出来なかった。


市立東市小学校

城址碑はこのフェンスの草むらの中

●地図● 奈良市古市町
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