ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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玖島城
2008/7/5記
(2008/7/4訪問)

板敷櫓
 
●概要●
玖島城(大村城)は1599(慶長4)年、大村家19代・大村喜前によって築かれた。以後、幕末までの12代約270年間に亘り大村藩2万7千石の居城であった。喜前は豊臣秀吉の死後に天下の乱れることを予測し、守りに強い海辺に城を築いた。玖島の名の通り元々は島であったが、現在の国道側を埋め立てて陸続きとした。天守閣は建造されず、館造りの建物であった。本丸跡は大村神社となっている。20代・大村純頼が1614(慶長19)年に大改修を行ない、北側にあった大手門を南側に移している。この大改修では築城の名手・加藤清正に意見を聞いたと言われており、板敷櫓台の石垣にその面影が見える。現在では大村公園となり、天然記念物のオオムラザクラや菖蒲の花が人々の目を楽しませている。

●歴史●
・藤原純友を祖とする大村氏は、鎌倉時代より地頭としてこの地を領有してきた。
 大村氏は27,000石の大村藩として明治維新まで存続した。
・大村喜前はキリシタン大名であったが、豊臣秀吉の圧力により改宗した。
 喜前は改宗後、キリシタンを徹底的に弾圧した。
1598(慶長3)年 豊臣秀吉死後の政情不安に備えて玖島城の築城に着手。翌年完成。
1614(慶長19)年 大村喜前の子・純頼により城の拡張、改修が行われた。
この際に城造りの名手である加藤清正により設計指導を受けたとされる。
1616(元和2)年 大村喜前がキリシタンにより城内で毒殺された。
1619(元和5)年 大村純頼も毒殺された。
  明治維新後は廃城となり、建造物は破却された。
1884(明治17)年 本丸跡に大村氏歴代を祀る大村神社が建立された。
1992(平成4)年 板敷櫓が再建された。

●三城城跡●
大村氏は玖島城を築く前は大村市を見下ろす山上の三城城を本拠としていた。
現在は忠霊塔になっており、城があったという面影はない。


●地図● 長崎県大村市玖島

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