ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

なぽのブログを検索 なぽのホームページを検索

TopPage > 長野県
松本城
2015/11/28更新
2008/6/9記
(2004/6/5・2008/3/22訪問)

現存天守

●概要●
12ある現存天守(江戸時代以前に建造された天守を有する城郭)の1つ。国宝に指定されている。松本城となる以前は深志城(ふかしじょう)と呼ばれていた。市民からは別名「烏城(からすじょう)」とも呼ばれている。明治30年代ころより天守が大きく傾き倒壊の危機に陥ったが、地元有志により「天主保存会」が設立され「明治の大修理」により修復された。天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟が国宝に指定されている。

典型的な平城で、本丸、二の丸、三の丸ともほぼ方形に整地されている。本丸を北部を欠いた凹型の二の丸が囲み、更にそれを四方から三の丸が囲むという、梯郭式+輪郭式の縄張りを成している。これらは全て水堀により隔てられている。

●歴史●
永正年間(1510年頃)、松本平の信濃府中に居を構えていた信濃守護家・府中小笠原氏が林城を築城し、その支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれている。
1550(天文19)年 甲斐の武田氏の侵攻を受け小笠原氏は没落。
武田氏は林城を破棄して深志城を拠点とし、馬場信春が城代となる。
1582(天正10)年 武田氏が滅亡し徳川家康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復。松本城に改名した。
1590(天正18)年 豊臣秀吉による徳川家の関東移封が行われると、当時の松本城主小笠原秀政も下総古河へと移った。
代わりに石川数正が入城。石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭、城下町の整備を行う。
1613(慶長18)年 大久保長安事件により石川康長が改易となり、小笠原秀政が再び松本城主となる。
1617(元和3)年 大坂の陣以後、2代目小笠原忠真が明石へ移封。
松平康長(戸田松平氏)が城主となる。
1633(寛永10)年 2代目の松平庸直が明石に移封。
松平直政(越前松平氏)が城主となる。
1638(寛永15)年 松平直政が松江に移封。
堀田正盛が城主となる。
1642(寛永19)年 堀田正盛が佐倉へ移封。
水野忠清が城主となる。
1725(享保10)年 6代目の水野忠恒が江戸城内で刃傷沙汰を起こし改易。
松平光慈が城主となる。以後戸田松平氏が9代続き、明治を迎える。
1727(享保12)年 本丸御殿が焼失、以後の藩政は二の丸で執務がとられた。
1872(明治5)年 天守が競売にかけられ、一時は解体の危機が訪れるが、
市川量造ら地元の有力者の尽力によって買いもどされ、難を逃れる。
1901(明治34)年 明治30年代ころより天守が大きく傾く。松本中学校長・小林有也らにより「天主保存会」が設立された。
1903(明治36)年 1913(大正2)年まで明治の大修理がおこなわれた。
1930(昭和5)年 国の史跡に指定。
1936(昭和11)年 4月20日、天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟が国宝保存法により国宝に指定。
1952(昭和27)年 3月29日、これら5棟が文化財保護法により国宝に指定。

●100名城スタンプ設置場所●
松本城管理事務所

●案内●(2015年11月現在)
開館時間 8:30〜17:00(入城は16:30まで)
ゴールデンウィークと夏季期間:8:00〜18:00
休館日 12/29〜1/3
入館料 大人 610円、小・中学生 300円

●地図● 長野県松本市丸の内

大きな地図で 長野県の城跡/なぽのホームページ用 を表示
TopPage > 長野県