ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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飯田城
2010/6/13記
(2010/6/12訪問)

松川から見た飯田城跡の丘陵

●概要●
天竜川支流である松川と野底川に挟まれた河岸段丘の先端部を利用して築かれている。室町時代に坂西氏が築いたのが始まりといわれている。秋山信友が堅固な城へと改築し、京極高知が近世城郭へと改修した。天守の存在については不明だが、小笠原秀政が松本へ移封の際に移したという説もある。明治維新後に徹底的に破壊され、現存する遺構は市立図書館にある赤門、経蔵寺にある桜丸御門などごくわずかである。

●歴史●
室町時代 坂西長由により築かれた。
1554(天文23)年 武田晴信が、信濃国守護職・小笠原長時を追い信濃を攻略。抵抗する者もいたが、下伊那地方では坂西氏をはじめ多くの豪族が降伏した。
1562(永禄5)年 坂西長忠は松尾城の小笠原信貴の領地を押領した事に端を発し、武田信玄と松尾小笠原氏に攻められる。脱出した坂西一族は勝負平の戦いで全滅。
以後、伊那郡代・秋山信友により下伊那地方の中心的な城郭として整備された。
1582(天正10)年 織田信長による武田征伐が行われる。飯田城を守備していた保科正直は戦わず逃亡。
武田勝頼は自刃したが、勝頼父子の首が飯田城下で晒された。
伊那郡は毛利秀頼に与えられ、下条氏長を飯田城代としたが、本能寺の変後の混乱を避けるため毛利秀頼は尾張に退去。下条氏長は殺されてしまった。
天正壬午の乱後に信濃国を支配した徳川家康により、下条信氏の次男・頼安が飯田城代となる。
1587(天正15)年 伊那郡代の菅沼定利が飯田城の城主となる。
1590(天正18)年 徳川家康が関東移封となり、毛利秀頼に伊那郡10万石と飯田城が与えられた。
1593(文禄2)年 毛利秀頼が病没すると、娘婿の京極高知が飯田城に入城。
1600(慶長5)年 関ヶ原合戦の戦功により、京極高知は丹後一国を与えられる。
1601(慶長6)年 小笠原秀政が5万石で入封。
1613(慶長18)年 小笠原秀政が松本に移り、飯田藩は一時天領となる。
1617(元和3)年 武家第一の歌人といわれた脇坂安元が入封。
1672(寛文12)年 堀親昌が2万石で入封。12代続き明治維新を迎える。
1871(明治4)年 廃城となり、徹底的に破壊された。
2010(平成22)年 桜御門(赤門)の修復が行われる。


修復中の赤門

旧桜丸門(経蔵寺山門)

●地図● 長野県飯田市追手町
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