ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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佐土原城
2007/8/24訪城
【2015/1/3更新】

二の丸御殿(復元)
 
●概要●
14世紀半ば頃、伊東氏一族・田島休助によって田島城が築かれた。その後、田島氏は日向国に勢力を伸ばしてきた伊東氏から城を追われ、伊東祐賀が入城し、佐土原氏を名乗る。 さらに伊東本家筋から伊東祐国が佐土原氏の養子に入り、正式に伊東氏が佐土原城を支配。伊東四十八城の一つに位置づけられた。 一度焼失したが、跡地に新しく鶴松城が築かれた。その後、伊東氏は島津義久に敗れて豊後に逃れ、義久の実弟・島津家久が城主となった。豊臣秀吉が九州征伐のため侵攻し、島津義久は秀吉の傘下に入った。その直後に城主の家久は急死、その息子・島津豊久が城主となる。だが、関ヶ原の戦いで島津豊久は戦死し、徳川家康家臣・庄田三太夫が一時的に預かったが、その後、島津以久が3万石を領して入封、以後明治まで領した。1625年に二代藩主島津忠興の代に、山の上の建物を壊して、麓にある二の丸に館を移した。この際に正式名称が本家の鶴丸城と同様に「鶴」の文字をおいた松鶴城となる(通称は佐土原城)。1870年に居城を広瀬に移転したため、建造物は全て破却され廃城となった。移転先の広瀬の城も廃藩置県のため未完のまま取り壊された。1993年、発掘調査の成果をもとに二の丸御殿の一部が復元され、鶴松館としてオープンした。

●歴史●
14世紀半ば頃 伊東氏の一族・田島休助により田島城が築かれた。
1427(応永34)年 田島氏は伊東氏に追われ、伊東祐賀が入城し、佐土原氏を名乗る。
1480(文明12)年 伊東氏本家より伊東祐国が佐土原氏の養子となり、伊東48城の1つとなる。
1536(天文5)年 焼失
1542(天文11)年 跡地に鶴松城が築かれる。
1600(慶長5)年 関ヶ原の戦いに敗れ、一時的に徳川家康家臣・庄田三太夫預かりとなる。
1603(慶長8)年 島津以久が城主となる。以後、明治まで佐土原島津氏の居城となる。
1625(寛永2)年 2代藩主・島津忠興は山上の建物を破却し、麓にある二の丸に館を移した。
1869(明治2)年 佐土原藩主・島津家は居城を広瀬に移したため、佐土原城は廃城となった。
1989(平成元)年 発掘調査により、柱穴・根石や石組・木組の暗渠などの遺構が見つかった。
1993(平成5)年 二の丸跡に大広間・書院・数寄屋を復元し、鶴松館として開館。

●案内●
宮崎市佐土原歴史資料館
開館時間 9:00〜16:30(入館は16:00まで)
入館料 無料
休館日 毎週月曜日、祝祭日の翌日、12月29日〜1月3日

●地図● 宮崎市佐土原町上田島

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