ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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仙台城
2016/3/6更新
2008/8/10記
(2007/9/22・2008/8/3訪問)

伊達政宗像

◆概要◆
仙台城は宮城県仙台市青葉区の青葉山にある平山城である。雅称は「青葉城」。
慶長年間に伊達政宗が築いた。廃城令までの約270年間伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。奥羽越列藩同盟盟主として戊辰戦争を経るも、一度も戦火を見ることなく要塞としての機能を終えた。その後、明治初期から大正にかけてその大半が失われた。数少ない遺構であった大手門、隅櫓、巽門は国宝に指定されたが、太平洋戦争の空襲により焼失。現在では、宮城県知事公舎正門の建築に転用された寅の門の部材が残るのみである。
青葉山に位置する事から「青葉城」という雅称を持ち、一般的に青葉城と呼ばれる事が多い。これは仙台城ができてから生まれた地名で、山と城のどちらが先に「青葉」の名を得たか不明である。青葉山は、仙台七崎の一つ「青葉ヶ崎」に由来する。


大手門隅櫓

本丸石垣

宮城懸護国神社

仙台城鳥瞰図(クリックすると拡大します)

◆歴史◆
・青葉山には伊達氏以前から城があり、初めは千体城、後に千代城と称していた。
・鎌倉時代末期から室町時代中期にかけて陸奥守・島津氏の居城であった。
・室町時代末期には国分荘の国人・国分氏の居城であった。
・伊達政宗の叔父で城主の国分盛重が政宗と対立し出奔すると千代城は廃城となった。
1601(慶長5)年 縄張りを始め、千代の地名を「仙台」と改めた。
政宗の仙台城は本丸と西の丸からなる山城で、天守台はあるが天守はなかった。
1637(寛永14)年 2代・伊達忠宗が二の丸造営に着手。翌年完成。
以後伊達家当主は平地である二ノ丸に居住し政務を執った。
これ以降、仙台城は平山城となった。
1871(明治4)年 東北鎮台(後の陸軍第二師団)が置かれた。
本丸が破壊され、石と木が兵舎建設に流用された。
1882(明治15)年 西南の役戦没者招魂祭の花火が不発のまま落下。
その火災により、表舞台楽屋以外の二の丸遺構はすべて焼失。
1904(明治37)年 本丸の跡地に招魂社(現在の護国神社)が建てられた。
1920(大正9)年 大手門から本丸の途中にある中門が現知事公館の正門に移築された。
1931(昭和6)年 大手門と脇櫓(隅櫓)が旧国宝に指定。
1943(昭和18)年 政宗像が金属類回収令により撤去された。
戦後、頭から胸は溶かされずにいたのが発見され、仙台市博物館で展示されている。
1945(昭和20)年 7月10日未明、仙台空襲で大手門、隅櫓、二の丸表舞台楽屋などが焼失。護国神社も焼失した。戦後、第二師団の跡地にアメリカ陸軍が進駐し、三の丸巽門が破却され建築遺構はすべて失なわれた。
1957(昭和32)年 アメリカ軍より第二師団跡地が返還された。
1954(昭和29)年 政宗像がコンクリートによって再建された。
返還された後の二の丸跡地は東北大学川内キャンパスとなった。
1950(昭和25)年 国有地払い下げを受け、護国神社が本丸一帯を所有。
仙台市は城が神社のものになることを望まず、一部を買い上げた。
1961(昭和36)年 三の丸跡地に仙台市博物館が開館した。
1962(昭和37)年 初代騎馬像の鋳型が発見され、銅像が再建された。
コンクリート製の立像は岩出山城に移設された。
1967(昭和42)年 民間の寄付により大手門脇櫓が外観復元された。
2004(平成16)年 本丸の石垣修復完了。

◆築城の経緯◆
関ヶ原の戦いの功により刈田郡が加増された。これにより岩出山城が手狭になったこと、領地の北西に偏りすぎていること、主要街道から外れた位置にあることで、居城を新たに築く必要性が出てきた。本拠地を移す際、千代(青葉山)・宮城野榴ヶ岡・石巻日和山を候補地として幕府に申請した。政宗の本命は宮城野榴ヶ岡だったようだが、第一希望は通らないだろうということで、千代を第一希望とした。ところがあっさり第一希望が認められ、千代に居城を移すことになったという。

◆実戦的な城だった◆
伊達政宗は死際に「この城は泰平の世には向かん。わしが死んだら修築しろ」と家臣や忠宗に言い残したという逸話が残っている。戦に勝つ、または落とされない要塞としての役割が色濃く残る城である。

◆大手門の復元予定◆
隅櫓を復元し仙台市に寄付した期成会は、次に大手門の復元を計画したが、資金と用地の問題があって先延ばしになり、果たせなかった。大手門復元に関しては、地下鉄東西線竣工を目処に開始される予定である。

◆石垣◆
切込接と呼ばれる積み方を用い、隅石表面は「江戸切」によって加工されている。
本丸石垣の修復工事(平成9〜16年)の発掘調査により、現在の石垣の下に築城当時の石垣と大地震により修築された石垣があることが判明した。

◆艮櫓の復元中止◆
本丸の石垣工事終了後、艮櫓(うしとらやぐら)を復元する計画であった。しかし、石垣調査によって艮櫓は修復中の第三期石垣の上にはなく、やや後ろにひっこんだ位置にあったことが判明した。また、艮櫓は第三期には存在しなかったので、第三期の石垣と一・二期当時の艮櫓をあわせて復元すると、櫓が市街から見えなくなる。さらに、貴重な遺跡である石垣の基礎部分を破壊することになる。城跡の市有地部分が国の史跡に指定され史跡保存が優勢となり、艮櫓復元は着工前の2003年5月に中止になった。

●100名城スタンプ設置場所●
仙台城見聞館(仙台城本丸、伊達政宗騎馬像西側)
開館時間 9:00〜17:00
休館日 年中無休
入館料 無料

●地図● 宮城県仙台市青葉区川内

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