ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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鳥羽城
2010/5/21記
(2010/5/15訪問)

七段石垣
●概要●
戦国時代に志摩を制圧した九鬼嘉隆により1594年に築かれた。水軍の城らしく四方を海に囲まれ、大手門は海側に設けられていた。1633年に九鬼家が御家騒動で転封後は内藤忠重が城主となり、二ノ丸と三ノ丸を増設して近代城郭として整備した。別名を錦城というが、これは海側を黒、陸側を白く塗り分けていた「二色」に由来する。これは、鳥羽藩の大きな収益源はボラ漁であったが、ボラは音や光に敏感な魚であり、城の海側が白く光を反射すると漁獲量に影響するためであった。本丸跡は旧鳥羽小学校のグラウンドになっていた。素人目にも旧跡とは関係ない石垣が目立つが、本丸と家老屋敷跡には本来の石垣が残されている。

●歴史●
1594(文禄3)年 九鬼嘉隆が鳥羽湾に突出した桶の山の橘氏の居館跡地に城を築いた。
1633(寛永10)年 九鬼守隆の死後、跡継ぎをめぐる御家騒動のため、九鬼氏は摂津三田と丹波綾部の二家に分けて移封された。代って内藤忠重が城主となり、近世城郭として整備した。
1680(延宝8)年 内藤氏3代・忠勝は芝増上寺刃傷事件により御家取り潰し。鳥羽は天領となる。
1681(天和元)年 土井利益が城主となり、鳥羽藩が再興する。
1691(元禄4)年 唐津藩主の松平(大給)乗邑が城主となる。
1710(宝永7)年 亀山藩主の板倉重治が城主となる。
1717(享保2)年 松平(戸田)光慈が城主となる。
1725(享保10)年 稲垣昭賢が城主となる。以後、8代続き明治維新を迎える。
1871(明治4)年 廃城となる。
2010(平成22)年 3月20日に三の丸広場が整備され、七段石垣が復元された。


本丸の石垣

家老屋敷跡の石垣

九鬼嘉隆
(くき よしたか)

1542年、志摩の土豪・九鬼定隆の次男として生まれた。1560年に伊勢の北畠具教に攻められ朝熊山へ敗走した。その後、織田信長の伊勢攻略に協力し、大淀城を落とす大活躍を見せて信長の配下に加えられた。その後、志摩で勢力を広げた嘉隆は信長より九鬼家の家督を継ぐよう命じられた。長島一揆鎮圧や毛利水軍との戦いを始め、九州征伐や小田原征伐で凄まじい戦功を挙げ、海賊大名の異名をとった。文禄の役でも活躍したが、隠居したため慶長の役には出陣しなかった。だが、関ヶ原の戦いでは石田三成の熱心な誘いに応じて西軍につき、敗れたため切腹した。享年59。


●地図● 三重県鳥羽市鳥羽

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