ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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田丸城
2010/5/19記
(2010/5/15訪問)

天守台
●概要●
南北朝時代に南朝方の拠点として築かれた。伊勢神宮を抑える戦略的要衝として争奪戦が繰り広げられたが、最終的に伊勢国司に任じられた北畠氏の居城となる。織田信長の伊勢制圧後は北畠具教の養嗣子となった織田信雄の居城として大改築。三層の天守を備えた近世城郭へと生まれ変わるが、5年後に火災で天守を焼失し、信雄は松ヶ島城へ移った。その後、蒲生氏、稲葉氏、藤堂氏と主城はめまぐるしく交代したが、1619年に紀州藩の所領となり、家老・久野丹波守宗成が城主となった。久野氏は8代続き、明治維新を迎えた。明治の世になり廃城となり、建造物はことごとく破却され、城地は国有林となった。その後、玉城町出身で朝日新聞創始者である村山龍平氏に払い下げられた後、町に寄付されて公園となった。現在は城内に玉城町役場と玉城中学校があるが、堀や石垣の保存状態は良く、廃城時に払い下げられた富士見門や三の丸の奥書院なども再度城内に移築されている。

●歴史●
1336(延元元)年 北畠親房が城を築く。
1342年(康永元)年 足利尊氏によって落城する。
1569(永禄12)年 織田信長が伊勢制圧し、田丸城は破却される。
1575(天正3)年 信長の次男・信雄が入城。城に大改修を加え三層の天守が築かれた。
1580(天正8)年 放火のため焼失し、信雄は松ヶ島城に移る
1584(天正12)年 蒲生氏郷の持城となり、妹婿の田丸直昌(直正、具直)が城代として入城。
1600(慶長5)年 直昌が蒲生氏郷の会津転封に伴い三春に移る。
代わって稲葉道通(重通)が入封し、田丸藩を立藩する。
1616(元和2)年 道通の子・紀通は摂津中島に転封となる。
伊賀・伊勢国主の藤堂高虎の領地となり、加納藤左衛門が代官となる。
1619(元和5)年 紀州徳川藩領となり家老の久野宗成が入城。以後明治まで久野氏の居城となる。
1869(明治2)年 廃城となる。
1871(明治4)年 建物は払い下げられ、殆どが破却された。城跡は国有林となる。
1928(昭和3)年 朝日新聞社創立者の村山龍平氏(玉城町出身)に払い下げられた。
村山氏の寄付により町有となり、公園として整備される。


外堀と玉城町役場

大手門跡

富士見門(現存)

本丸石垣

田丸城郭之図

●地図● 三重県度会郡玉城町田丸
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