ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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波切城
2012/12/30記
(2011/7/31訪問)

土塁
 
●概要●
波切城は室町時代に川面氏により築かれたと考えられている。その後、紀伊・九鬼浦より九鬼隆良が移り住み、川面氏の養子になったという。その後、志摩の九鬼氏本家は田城城を居城とした。周囲は切り立った断崖で見渡しが良く、港も近いため海軍の拠点としては都合が良い立地にある。戦国時代に活躍した九鬼嘉隆は九鬼定隆の次男として波切城で生まれた。志摩は13家の地頭が互いに盟約を結んでいたが、九鬼氏はこの盟約を破ったため、1560年に地頭連合は北畠氏の力を借りて九鬼氏を攻めた。この戦いで田城城や波切城は落城し、九鬼氏は滝川一益のもとに身を寄せた。1568年に織田信長が伊勢に侵攻すると、嘉隆は水軍を率いて活躍し、田城城や波切城を奪還。信長から志摩の領有を認められた。その後の嘉隆は九鬼水軍を率いて長島一向一揆の鎮圧や紀伊征伐、本願寺攻め、四国征伐、九州征伐などで活躍した。1594年に鳥羽城を築城するまでの間、波切城は九鬼氏の本拠地であった。現在城跡には土塁が残り、当時のものを思われる石垣もわずかに残されている。

●歴史●
室町時代初期 川面氏により築かれたと考えられる。
1560(永禄3)年 志摩の地頭連合に攻められ落城。九鬼嘉隆は滝川一益を頼る。
1568(永禄11)年 織田信長の伊勢攻略の余勢をかって嘉隆は志摩全域を支配下に置く。
1594(文禄3)年 嘉隆は鳥羽城を築いて居城とする。波切城は廃城となった。


大王崎灯台

城址碑

●地図● 三重県志摩市大王町波切

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