ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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北畠氏館
2016/2/25更新
2011/9/26記
(2011/7/31訪問)

北畠神社
●概要●
北畠氏は村上源氏の流れをくむ名門であり、中院雅家が洛北の北畠に住み、北畠姓を名乗ったことに始まる。鎌倉時代後期に当主となった北畠親房は、後醍醐天皇による建武の新政を支え、南朝の軍事的指導者となった。親房の長男・顕家は陸奥守に任じられ、次男・顕信とともに南朝方の重鎮として足利尊氏と戦った。三男・顕能は伊勢国司を任じられ、伊勢北畠氏の祖となった。任地に赴いた顕能は父・親房、兄・顕信とともに玉丸城を中心に南朝方の拠点構築に力を注いだ。だが、北朝方の足利義直・高師秋らの攻撃たびたびを受け、1342年には本拠であった玉丸城が落城。そのため、山間にある要害の地・多気に館を築いて霧山城を詰めの城とし、以後はこの地が伊勢北畠氏の本拠となった。225年にわたって北畠氏による伊勢統治の中心地であったが、1569年に織田信長の侵攻を受けて降伏に近い形で和睦。その後、信長の命により8代目・北畠具教は隠居地である三瀬谷で暗殺された。同時に多気御所および霧山城も攻め落とされて廃城となった。江戸時代のはじめ頃に北畠氏の末裔・鈴木孫兵衛家次が畑となっていた館跡地に小祠を設け、北畠八幡宮とした。現在も北畠神社として祀られており、7代・晴具の時に細川高国が造った庭園はとても有名である。また、境内には北畠顕能像がある。

●歴史●
1336年
(建武3・延元元)
伊勢国司である北畠親房・顕能親子が伊勢に入国し、田丸城に入城。
1342年
(康永元・興国3)
田丸城は北朝方の足利将軍家に再三にわたり攻められたため、霧山城を築いて移った。以後8代にわたり北畠氏の本拠地として伊勢国支配の中心地となる。
1351年
(観応2・正平5)
足利尊氏の命により伊勢を攻めた高師秋は北畠顕能との戦いに敗れて捕えられ、多気御所で殺害された。
1569(永禄12)年 織田信長が伊勢に侵攻。北畠具教は大河内城に籠城し50日余り抵抗したが、信長の次男・信雄を長男・北畠具房の養嗣子にすることで和睦した。
1576(天正4)年 織田信長の蜜命により三瀬谷で隠居していた北畠具教が暗殺された。
同時に霧山城も攻め落とされ、廃城となった。
1643(寛永20)年 北畠一族の末裔・鈴木孫兵衛家次が畑となっていた館跡地に小祠を設け、北畠八幡宮とした。


庭園の入口(朝早過ぎて入れず)

中世館跡では日本最古の石垣

霧山城への登城口

館と霧山城の位置関係(現地案内板より少し加工)

●案内●
北畠氏館跡庭園
開園時間 9:00〜17:00
入園料金 大人 300円、大学生・高校生 200円
休園日 年中無休

●地図● 三重県津市美杉町下多気
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