ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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神戸城
2008/12/29記
(2008/12/27訪問)

天守台
 
●概要●
神戸具盛が天文年間(1532〜55年)に築城し、澤城から本拠地を移した。その後、織田信長の3男・神戸信孝により強固に修築され、5重6階の天守が築かれた。天守は1595(文禄4)年に桑名城に三重櫓として移築され、神戸櫓と呼ばれた。その後城主は度々代わり、1732(享保17)年に本多忠統が封じられてからは、本多氏が7代140年間居城として用いた。現在城の中心部は神戸公園となり、二の丸跡には、三重県立神戸高等学校が建てられている。城跡は公園として整備され、本丸の石垣および堀の一部が残る。現存する建物は鈴鹿市内にある蓮花寺に移築された二の丸太鼓櫓と四日市市内にある顕正寺に移築された大手門がある。

●歴史●
1532〜55年の間
(天文年間)
関氏一族の神戸氏4代・神戸具盛が築城し本拠地とした。
1568(永禄11)年 織田信長と神戸具盛は、信長の3男・信孝を神戸氏の養子にすることで和睦。
1580(天正8)年 信孝は神戸城の大改修を行い、金箔瓦を用いた天守を築いた。
1582(天正10)年 本能寺の変の後、信孝は柴田勝家、滝川一益等と共に羽柴秀吉と対立。
神戸信孝は織田姓に復姓し、岐阜城へ移った。だが、兄である北畠信雄により岐阜城を包囲され、尾張国野間にある正法寺で自刃した。
1595(文禄4)年 天守が伊勢桑名城に移された。
  生駒親正→滝川雄利→水野忠重が城主となった。
1600(慶長5)年 滝川雄利が関が原の戦いで西軍についたため改易。
尾張黒田城より一柳直盛が5万石で入城した。
1636(寛永13)年 一柳直盛は伊予西条藩に転封。
その後15年間は天領(幕府直轄地)となった。
1651(慶安3)年 石川総長が1万石で入城。石川氏が3代続く。
1732(享保17)年 近江膳所の本多忠統が入り、形態を無くしていた城の大修築を行なう。
約140年間、7代・忠貫まで続き明治維新を迎えた。
1875(明治8)年 城は解体された。

●二ノ丸太鼓櫓●

●縄張図●


●地図● 三重県鈴鹿市神戸5丁目

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