ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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亀山城
2008/7/13記
(2008/7/12訪問訪問)

現存 多聞櫓
●概要●
伊勢亀山城は1265(文永2)年に関実忠が築城した。それから織田信長により関盛信が追放されるまでの335年間、関氏16代の居城であった。岡本宗憲が入城後に現在の位置に築城され、天守も建てられた。江戸時代初期に亀山城の修築を命じられた堀尾忠晴が丹波亀山城と間違えて天守を取り壊したと伝えられる。本丸には将軍家上洛時の旅館として整備された本丸御殿、二之丸には城主居館と藩庁を兼ねた二之丸御殿が設けられた。現在は多聞櫓と石垣、土塁、堀の一部が残されている。

●歴史●
1265(文永2)年 関実忠が築城。関氏16代の居城であった。
1573(元亀4)年 織田信長により関盛信が追放される。
亀山城は神戸信孝に与えられた。
1583(天正11)年 羽柴秀吉が攻め落とす(信孝が賤ヶ岳の戦いで秀吉と敵対したため)。
関盛信の子・一政が城主となった。
1590(天正18)年 主家・蒲生氏郷の会津移封に合わせ、関一政が陸奥白河に移封。
岡本宗憲が入城。新たに築城され、3層の天守も建てられた。
1600(慶長5)年 岡本宗憲は関が原の戦いで西軍についたため改易。
関一政が3万石で復帰。
1610(慶長15)年 関一政が伯耆黒坂藩へ移封。
松平忠明が三河国作手藩より5万石で入る。
1615(慶長20)年 大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡。忠明は摂津大坂藩に移封。亀山藩は廃藩となった。
その領地は四日市代官の水谷光勝や津藩領として支配された。
1619(元和5)年 三宅康信が三河挙母藩より1万石で入る。
1632(寛永9)年 幕命を受けた堀尾忠晴が丹波亀山城と間違って天守を解体。
解体後勘違いに気づいたが、幕府は再建を許さなかった。
1636(寛永13)年 第2代藩主・三宅康盛は2000石加増され三河挙母藩へ戻された。
本多俊次が城主となる。亀山城の大改修に着手し、東西700m、南北500mの縄張りとなる。本丸御殿は将軍家旅館として整備され、二之丸に城主居館と藩庁を兼ねた二之丸御殿が設けられた。
1644〜47
(正保年間)
天守台に多聞櫓が建てられた。
1651(慶安4)年 本多俊次が近江膳所藩へ移封。
石川憲之が近江膳所藩より5万石で入る。
1669(寛文9)年 石川憲之は山城淀藩へ移封。
板倉重常が下総関宿より5万石で入る。
1710(宝永7)年 第3代藩主・板倉重治が志摩鳥羽藩へ移封。
松平乗邑が志摩鳥羽藩より6万石で入る。
1717(享保2)年 松平乗邑は山城淀藩へ移封
板倉重治が志摩鳥羽藩より復帰。
1744(延享元)年 第2代藩主・板倉勝澄は備中松山藩へ移封
石川総慶が藩主となる。以後石川家11代で明治維新を迎えた。
1873(明治6)年 廃城令によりほとんどの建造物は取り壊された。
多聞櫓は木綿緞通工場として使用されたため破壊されなかった。
1953(昭和28)年 県下で唯一の現存城郭建築として多聞櫓が三重県指定文化財に指定。

●地図● 三重県亀山市本丸町
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